東京五輪監督就任の森保一が悲劇を知らない世代に伝えたいドーハの教訓
2020年東京五輪サッカーの男子代表監督に就任したサンフレッチェ広島前監督の森保一氏(49)が30日、東京・文京区のJFAハウス内で就任会見に臨んだ。 本大会開催時で23歳以下という年齢制限が設けられた1992年のバルセロナ大会以降、A代表監督と兼任した2000年シドニー大会のフィリップ・トルシエ監督を除いて、歴代のオリンピック代表監督は日本人が務めてきた。 バルセロナ大会はアジア最終予選を突破できなかったが、1996年アトランタ大会の指揮を執った日本サッカー協会の西野朗技術委員長(62)をはじめとする、総勢6人の日本人監督のなかで森保氏の現役時代における経験値は群を抜いて高い。 国際Aマッチ出場35試合という代表歴も6人のなかで最多となるが、何よりも特筆されるのは日本代表が初めてワールドカップへの扉を開けかけた、1993年10月28日の「ドーハの悲劇」を実際にピッチの上で経験していることだ。 いまからちょうど24年前、アジア最終予選が集中開催された中東カタールから帰国したばかりの森保監督はまさに失意のどん底にいた。就任会見のなかで、当時の心境についてこう言及している。 「私自身、あの経験で何が変わったかと言うと、あれ以上に悲しい思いをすることはないだろうなと思っています」 当時は2枠しかなかったワールドカップ・アメリカ大会の切符をかけた、アジア最終予選に臨んだのは6ヶ国。2週間で5試合を戦う強行日程のなかで、オランダ人のハンス・オフト監督に率いられた日本はサウジアラビアとの初戦を引き分け、イランとの第2戦では黒星を喫した。 この時点で最下位に転落したものの、エースのカズ(三浦知良)の活躍で北朝鮮、韓国に連勝して首位に浮上。イラク代表との最終戦に勝てば、他の2会場の結果に関係なくワールドカップ出場を決められる状況でキックオフに臨んだ。 開始早々の5分にカズの3試合連続ゴールで先制したが、イラクに後半10分に同点とされる。FW中山雅史のゴールで同24分に勝ち越したものの、その後はイラクに主導権を握られる展開が続いた。 そして、時計の針が45分を回った直後にイラクが右コーナーキックを獲得する。時間がない状況でイラクが選択したのはショートコーナー。慌ててマークにいったカズがフェイントであっさりとかわされ、上げられたクロスにFWオムラム・サムランが頭を合わせる。 ゴールの左隅にゆっくりとボールが吸い込まれるシーンを巻き返してみると、カズが懸命に伸ばした右足の先をクロスがかすめた直後に、ボランチとしてフル出場していた森保監督も必死にジャンプ。頭でクロスを防ごうとしたが、ほんの十数センチながら届かなかった。 「夢が目の前まで実現できそうな思いでピッチの上にいて、でも最後に守りに入ってしまえばやられるんだ、という経験をした」 同点とされた直後に、何人かの日本の選手がピッチに倒れ込む残酷な光景。当事者の一人である森保監督が悔やんだのはショートコーナーに対する守備以上に、イラクがかけてくるプレッシャーの前に、中盤や最終ラインがずるずると後退してしまったことだ。 カズや司令塔のラモス瑠偉、途中からピッチに入ったFW武田修宏ら攻撃陣は前へ行こうとした。結果としてライン全体が間延びし、カウンターを浴びたときには防戦一方となった。体力的な限界も手伝って、相手へプレッシャーをかけられる選手は誰もいなかった。 最終的にはサウジアラビアと、自力出場の可能性が断たれていた韓国が北朝鮮に3点差で勝って、勝ち点で日本と並びながらも得失点差でアメリカ行きを決めた。