「息子たちに稽古をつけていると父・中村勘三郎の言葉が甦る。常に歌舞伎界全体の未来を考えていた父の背中を追って」【勘九郎×七之助】
七之助 巡業では毎回トークコーナーから始まるのが恒例。 勘九郎 演目の説明や今後に向けてのお話などをするほか、質疑応答の時間があって、これが僕たちも楽しみなんです。 七之助 お客様から「ここにぜひ行ってほしい」とか「これを食べてほしい」といった提案をいただいたりすることも。その情報をもとに、兄と食べに行ったりもしています。 勘九郎 巡業中は、ほぼ毎日移動。42歳になって、「移動が大変」と感じるようになりました(笑)。最近ぎっくり腰になったこともあり、腰痛が……。でも「役者は3日やったらやめられない」とよく言うけれど、不思議なことに板の上に立ってお客様の拍手や笑い声を受けると、疲れが吹っ飛ぶ。 七之助 今回の巡業先には、愛媛の内子座や熊本の八千代座、岐阜の相生座など、古い劇場も含まれています。父が香川・琴平町の金丸座の建物を見て、「芝居小屋は芝居で息を吹き込まなければ、いつかなくなってしまう」と強く思ったことから、紆余曲折を経て、金丸座でこんぴら歌舞伎ができるようになった。 父の襲名時にも各地の芝居小屋を回らせてもらいましたが、ホールで演じるのとはまた違った魅力がありますね。
◆記憶に残るものをお届けしたい 勘九郎 トークコーナーで毎回、「生で初めて歌舞伎を観る方、手をあげてください」と言うと、7割くらいの方が手をあげる。やはり初めて観た時、「難しかった」「よくわからなかった」となるのは絶対に嫌なので、面白くて興奮していただけるもの、記憶に残るものをお届けするよう心掛けています。 七之助 それをきっかけとして、一人でも多くの歌舞伎ファンが生まれてほしい。それが、歌舞伎の未来に繋がるので。 勘九郎 20年に新型コロナという私たち全員の敵が現れて、芝居は不要不急なものだと言われました。その危機はなんとか乗り越えたけれど、その間に歌舞伎から離れたお客様がなかなか戻ってこない、という現実があります。 七之助 確かにそれはあるよね。 勘九郎 それに今年は、お正月からいろいろなことがありました。去年、巡業で訪れた石川県と富山県も地震の被害に遭って……。お世話になった人たちや見に来てくださった方々が苦しい思いをされている。お正月に起きた北九州・小倉の火事では、僕らが小倉に行くたびに食べに行っていた中華料理店が全焼してしまいました。でも僕たちは、舞台の上から発信することしかできません。 七之助 おこがましいかもしれませんが、演じ続けることでみなさんを応援するのが僕たちの仕事であり、生きがい。そして、僕たちが諸先輩方や父から教わったことを、次の時代に繋いでいかなくてはいけない。 勘九郎 この先も僕たちは、父が生前に築いてくれた船に乗って、一生、信じた道を進んでいきます。 (構成=篠藤ゆり、撮影=岡本隆史)
中村勘九郎,中村七之助
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