「息子たちに稽古をつけていると父・中村勘三郎の言葉が甦る。常に歌舞伎界全体の未来を考えていた父の背中を追って」【勘九郎×七之助】
十八世中村勘三郎さんが亡くなってから今年で12年。息子の中村勘九郎さん、七之助さんは、十三回忌追善興行の真っ最中です。ともに舞台に立つ子どもたちの成長を眺めながら、2人の胸に去来する思いとは――(構成=篠藤ゆり 撮影=岡本隆史) 【写真】『猿若揃江戸賑 厄祓浅草祭』を舞う勘九郎さん、勘太郎さん、長三郎さん、七之助さん * * * * * * * ◆皆さんに支えられ全国巡業20年 勘九郎 息子たちに稽古をつけていると、僕らが昔、父から指摘されたことが甦るんだ。気になるなぁと思って注意するのは、たいてい僕たちも言われていたことだし。 七之助 父は礼儀にも厳しかった。たとえば今、長三郎がやっている『連獅子』の時は、小道具の受け渡しとか、お客様には見えないところでの礼儀も厳しく言われた。そういうことは、後々本当に役に立つ。芸だけではなく、そういう精神も、代々受け継がれていくんだろうね。 勘九郎 父は伝統をすごく大切にしつつ、コクーン歌舞伎や平成中村座など、新しいチャレンジもたくさんしてきた。新作に取り組む際のセンスもよかったよね。 七之助 たとえば1996年には、コクーン歌舞伎第2弾として笹野高史さんに出ていただいた。当時、歌舞伎役者以外が歌舞伎に出演することに対して風当たりが強かったし、劇評でも酷評されたみたいだけど、今はそんなことを書く評論家はいない。野田秀樹さんとの出会いから生まれた新作『野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ』も高く評価されたし、企画力や思いを実現させる力が本当にすごい。 勘九郎 「人」を大事にし、本当に真面目に人とつきあっていたからこそ、新しい扉が開けていったんだと思います。 七之助 僕らは、そういう父の背中を見て育ってきました。「人」が大事だという精神も、受け継いでいるつもりです。
勘九郎 父は常に歌舞伎界全体の未来を考えていました。今はさまざまな娯楽があるなかで、歌舞伎を選んでもらわなくてはいけない時代だから大変。若い人や今まで観たことのない人たちにいかに歌舞伎に関心を持ってもらうかも、大きな課題です。 七之助 だからこそ、なるべく多くの方に歌舞伎に触れていただくため、僕らは05年から全国巡業を行っています。 勘九郎 普段、歌舞伎を観ることができる劇場は限られています。だったら自分たちが足を運ぼう、と。 七之助 始めた頃は20代前半ということもあり、僕らだけの公演で果たしてお客様が入ってくださるのか、正直、不安でした。でも、全国の皆さんに支えられて……。 勘九郎 22年には、47都道府県すべてでの開催を達成できました! 20年目を迎える今年は父の十三回忌追善ということで、勘太郎や長三郎も参加する「陽春歌舞伎特別公演」と、僕たち兄弟が中心の「春暁歌舞伎特別公演」で全国21ヵ所を回らせていただきます。
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