世界的にも重要な日本の花卉(かき)遺伝資源と園芸文化を継続させるために
◇日本の花卉園芸品種と園芸文化は江戸時代に発達し、各地へ広がっていった 日本国内で園芸品種や園芸文化が急速に発達したのも江戸時代です。江戸時代は300年近く安定した政権が続き、一般庶民も平和に過ごせたことで様々な文化が成熟しました。江戸幕府の為政者たちは花卉園芸に理解があり、振興政策を進めました。また、参勤交代の制度下、全国の主だった大名や藩士が交代で常駐するための大名屋敷や武家屋敷が江戸にあり、その庭に出身地から持ってきた観賞価値の高い花卉が植えられたことで江戸に日本中の花卉が集まってくる素地ができました。駒込の六義園や新宿御苑では、当時大流行した「江戸霧島」と称される九州の霧島山地由来のツツジの園芸品種を今でも見ることができます。こうした大名屋敷の庭を手入れする植木屋は、一部を譲り受けて流通させたと考えられます。江戸の上駒込村染井(現在の豊島区駒込)には、一般庶民も立ち入れる世界一の規模のガーデンセンター(植木屋通り)がありました。そして、江戸で手に入れた観賞価値のある植物は各地に持ち帰られ、日本中に様々な園芸品種が広がりました。先のシーボルトが学名に愛妻タキの名を付けたことで有名なアジサイも、当時すでに長崎にまで広まっていたガクアジサイの手毬(てまり)咲き園芸品種をそれと知らずに命名したと考えられます。また、熊本藩の六代藩主・細川重賢は、家臣たちの精神修養に花卉園芸を奨励したことで多くの花卉が育てられ、その後6種の花が「肥後六花」として選定されましたが、そのうちの花菖蒲は、江戸で作出された品種群がもととなったとされています。 花見の文化が成熟したのも江戸時代です。江戸に桜の名所をつくるという施策は徳川家八代将軍吉宗によってはじまり、奈良吉野山のヤマザクラを御殿山や隅田川沿いなどに植樹しました。桜の園芸品種‘染井吉野’は江戸の染井で偶然生まれた品種で、吉野の桜に匹敵する美しさでこの名を付けられましたが、科学的にエドヒガンとオオシマザクラの雑種であることが証明されています。この‘染井吉野’は種子をほとんどつけないのですが、その観賞価値の高さと挿し木や接ぎ木の容易さでクローン苗が急速に全国に広がり、日本各地に桜の名所が生まれました。また、当時は花菖蒲や桜草も花見の対象となっていたことが浮世絵などからわかります。 鎖国は日本独自の花卉園芸品種が生まれやすい環境をつくるのにもひと役買いました。長い期間、限られた植物の中からより洗練されて変わったものを求めた結果、菊や朝顔では花が極端に異形となって種子もできず、自然ではとても生き残れないような品種群が作出されました。また、葉が突然変異などで部分的に葉緑素ができずに白や黄色の縞や斑点の模様になる「斑入り(ふいり)」という現象を示す品種が様々な植物で見いだされました。こうして、これらを「奇品」とよんで珍重する日本独自の園芸文化も生まれました。 鎖国中は西洋で発見された自然科学の情報が制限されていたため、花粉に遺伝的要素があるといった遺伝学の知識も一般には知られていませんでした。江戸時代に生まれた花卉園芸植物の膨大な品種群の多くは、人の手による交配ではなく、自然発生した突然変異や、風・振動・昆虫などによる自然交雑でできた種子由来の苗から偶然見つかる良いものを選抜したと考えられます。 私の研究室では日本の花卉遺伝資源の現状を明らかにし、保全による将来への継続性や育種利用への一助とするため、現存する野生集団の自生地での形態・生態調査、遺伝子マーカーを用いた解析や成分分析などによって、野生集団の多様性と進化や、園芸品種群の成立過程などについて研究を進めてきました。これまでに、ツツジ、ユリ、ハナショウブ、アジサイなどを研究対象にしてきています。ツツジでは、江戸時代に品種群が発達したオオヤマツツジは、西日本でできたヒラドツツジなどの園芸品種群と、関東の里山に自生する野生種ヤマツツジとの自然交雑で生まれた可能性を示唆し、またイタリアやベルギーの研究者との共同研究では、鉢植えのツツジとして現在世界中で流通しているベルジャンアザレアとよばれる品種群が、江戸時代に作出された日本の園芸品種群をもとに成立したことを明らかにしてきました。ユリでは、野生種のユリとしては世界最大の花を咲かせる伊豆諸島固有種のサクユリについて、島ごとの多様性や、伊豆半島に自生する近縁種ヤマユリとの関係について明らかにし、また、伊豆半島に自生するイズユリとよばれる美しいユリは、ササユリとヤマユリの自然交雑でできた雑種で、多様な形態を持つことを明らかにしました。ハナショウブでは、玉川大学との共同研究で江戸時代に育成された園芸品種群の由来となった野生種ノハナショウブの地域集団を推定しました。現在は、アジサイ園芸品種群のもととなった野生種のガクアジサイ、ヤマアジサイ、エゾアジサイについて、自生地野生集団の遺伝的多様性、江戸時代以降に欧州に渡った園芸品種と野生集団との関係性、ガクアジサイが持つ強い環境ストレス耐性(特に耐塩性)などについて研究を進めています。また、「奇品」として成立したアサガオの形態変異品種群である「変化朝顔」は種子ができないため、現状では親系統の維持と変異個体の選抜に多大な労力が必要とされることから、組織培養系を利用したクローン増殖ができないか試みています。