始まりは「930」から 「ポルシェ911ターボ」が歩んだ50年
ターボ時代の幕開け
1973年9月13日。IAAフランクフルトモーターショーでは、ポルシェスタンドに展示された「911」のプロトタイプがとりわけ大きな注目を浴びていた。大きく張り出したリアフェンダーと巨大なリアウイングが異彩を放ち、3リッターエンジンにはターボチャージャーを備えて最高出力260PSを発生。最高速は250km/hと説明されていた。 911ターボの進化の歩みを写真で詳しく見る(11枚) また、BMWのスタンドでは「2002ターボ」と命名されたモデルが公開されていた。この2つの“ターボ”が登場したことから、振り返ってみれば、同年のIAAはターボ時代の幕開けを告げるショーであったといえよう。 本稿では生誕50周年を迎えた「911ターボ」(当初は「930ターボ」とも称していた)が登場した経緯と、その周辺に的を絞って記してみることにした。ポルシェは「356」の生産開始以来、レースを車両開発の場として重要視していたが、ターボチャージング技術も例外ではなかった。発端はパワーアップのための有効な手段としてのターボであったが、近年では、二酸化炭素削減という社会の要求に沿うための、省エネルギーと高出力を両立させる技術としてターボが活用されている。ポルシェにとって“ターボ”は重要なアイコンであり、たとえ電気自動車であっても、それがハイパワーモデルの名称として使われていることはご承知のとおりだ。 内燃機関の出力向上には過給が有力な手法であることは、エンジン黎明(れいめい)期に明らかにされ、第2次世界大戦前に機械的駆動の過給器(スーパーチャージャー)の実用化が始まった。過給技術の実用化を果たした研究者のひとりがフェルディナント・ポルシェ博士で、ダイムラー在籍時の1923年に「メルセデス2リッターコンプレッサー車」の開発に成功している。初代ポルシェ博士による過給器研究と、1973年に登場した911ターボとの間には、もちろん直接的な関係はない。だが、ポルシェによる過給技術の研究を追うと、過給は家系案件であったのではとも思えてくる。