あやまん監督「全盛期は泣いてばかりいた」大人の事情で10kg減…それでも“燃え尽き”から復活できたワケ
全盛期は毎日泣いてばかりいた
――テレビで見るあやまんJAPANはいつも楽しそうでしたが、監督やメンバーの心境は“あげぽよ”ではなかったと伺いました。 監督:テレビに出るようになり10kg痩せたましたし、さくらだ(ファンタジスタさくらだ)はいきなり坊主頭にするし、みんな病み散らかしてました。「ぽいぽい」の着メロ化を巡り、私達が業界や大人の常識を知らなかったばかりにある恩人に不義理をしてしまい、その方に怒られて3人でワーワー泣いて反省会をしたり。毎日泣いているような状態でした。 テレビの依頼も多くいただき、「サンジャポ」(TBS系)から「黄金伝説」「逃走中」(テレビ朝日系)など、ニュースにバラエティに音楽番組とさまざまな番組に出させていただいたのはありがたかったです。でもなかには「これは…?」と思うような、私達には合わない依頼も詰め込まれて、みんなで神経をすり減らしてました。 ――忙しかった時期は、当然ながらかつての試合(合コン)などはできなかった? 監督:まったく時間がありませんでしたし、いざこうして私達が世に出たことで、かつての試合相手達に「テレビで自分の話をされたら困る」と警戒されたのか、みんな離れていってしまったんです。自分達が好きに飲んで騒げる場がなくなったのも当時は辛かったですね。
燃え尽きていた時代。『有吉反省会』が転機に
――そのような大変な日々はどのくらい続いたのですか? 監督:2年くらいかな? ブームは長続きしないだろうと見込んでたので、2012年頃に六本木にバーを開いたんです。店の売上は黒字でしたが、気ままに対戦相手と好き勝手に試合するのとお客様をもてなすのとは違い、とにかく大変でした。なんとか1年半は頑張りましたが、その後は別の方に引き継ぎ私は退いて廃人と化しました(笑)。 ――退いた後はどうされていたんですか? 監督:燃え尽きて誰とも会いたくないし、喋りたくなくて家でじっとしてました。少し外に出られるようになってからは、ヨガしたりスムージーを飲んだり、マクロビランチしたりと、とにかく体に良いことだけをしていました。気分は人生史上最高に暗くて、髪も黒く染めて服も黒いものばかり着てましたね。そんな中で2014年に『有吉反省会』(日本テレビ系)に出たんです。 ――久々のテレビ出演だったんですよね。どうでしたか? 監督:実はその時、迷走してたのか舞台に出たり女優業に転身しようとしていたんです。番組出演後にブログのコメント欄には「監督は元気な方がいい」「あやまんJAPAN復活してほしい」ってコメントをたくさんいただいて。まだ需要があるんだ…と目覚めて、番組出演翌日に「あやまんJAPAN株式会社」設立の準備をしました。 ――翌日に! どんな思いだったのでしょうか。 監督:一度は全国の皆さんに笑っていただいた「あやまんJAPAN」でもう一度花咲かせたいと思って。今度はテレビではなく全国の企業や学園祭や宴会など、あやまんを呼びたいって望んでいる方の元にいくイベント事業として再スタートを切ったんです。