Night Tempo「もっと面白い音楽を作り出していきたい」韓国から日本へ
【音楽通信】第162回目に登場するのは、80年代の日本のシティポップや昭和歌謡をダンスミュージックに再構築し、大人から若者たちにまで幅広く刺さる音楽を届けてくれる韓国人プロデューサー、DJのNight Tempoさん! 【画像】ポージングも素敵! Night Tempoさんのショット集はコチラ。
プログラマーからプロデューサーへ転身
【音楽通信】vol.162 1980年代の日本のシティポップや昭和歌謡をダンスミュージックに再構築し、昭和生まれの大人には懐かしく親しまれ、現代生まれの若者たちには新しく響く楽曲が人気を博している、韓国人プロデューサー、DJのNight Tempo(ナイトテンポ)さん。 2017年頃から音楽制作をスタートし、2019年から日本やアメリカで本格的に活動を始め、2021年にはオリジナル・アルバム『Ladies In The City』でメジャーデビュー。アイドル・グループに在籍していた矢川葵さんと市川美織さんを迎えたレトロ・ポップ・ユニット「FANCYLABO(ファンシーラボ)」もプロデュースしています。 さまざまな世代に刺さる音楽を手がけるNight Tempoさんが、2024年9月18日にオリジナルアルバム『Connection』を配信リリースするということで、お話をうかがいました。 ――あらためてNight Tempoさんの音楽変遷から教えてください。 韓国に生まれ育って、日常的に何かしらの音楽を耳にすることはありましたが、自分から意識して聴きたいと思ったものはありませんでした。小学生の頃、韓国では昔の歌謡曲をカセットテープで聴くことが流行っていて、貿易の仕事をしていた父はよく日本に行っていたので、そのたびにカセットテープを買ってきてほしいとお願いしていて。そしてカセットウォークマンも頼んだら、間違ってCDウォークマンを買ってきてくれました(笑)。 そのとき、一緒に買ってきてくれたCDに、中山美穂さんのユーロビート系の曲「Catch Me」が入っていて、そこから日本の音楽を聴くようになりました。大人になってからはインターネットで音楽の情報もたくさん得られるようになりましたし、動画も見られるようになって、日本の音楽をもっと幅広く聴くようになったんです。 もともと韓国の歌謡曲より、モータウンなどのアメリカの音楽やイタロディスコなどをよく聴いていましたが、日本の80年代の音楽が一番好きなんです。90年代にバブルが終わってもうちょっとくらいまでの音楽がすごく好みなんですよね。 ――そうして日本の音楽も聴くようになったNight Tempoさんですが、32歳まではプログラマーとして、会社員として働いていたそうですね。その後、音楽の道へ行こうと決意した一番の理由は何でしたか。 30歳になって自分の人生を振り返ってみたら、仕事は自信を持ってやっていたから安定していましたが、毎日決まった日常に少し疲れてしまっていたところがあって。自分なりにもっとできることがありそうなのにしていないと気づいて、年齢を重ねる前に好きだった音楽の道に挑戦したくなって、会社を辞めました。そのときは趣味で1年やってうまくいかなかったら、またプログラマーに戻ろうとも考えていて。 ――畑は違いますが、作り上げていくことがお好きなんですね。 そうですね。いまはプロデューサーとして音楽を作っていますが、会社員時代もアプリやロボットの腕を作ったり。いろいろと組み立てて作ることが、自分の性格と合っているんです。さらに音楽の場合は、自分の好きなものでもあるので、楽しくて。その頃、菊池桃子さんのバンド「RA MU(ラ・ムー)」のリエディットをネットにアップしていたら、いま僕が所属している事務所のかたからお声をかけていただきました。 ――その後、昭和の名曲を令和にアップデートする「昭和グルーヴ」シリーズを経て、2021年にご自身としてのメジャーデビュー、2023年にはプロデュースを手掛ける「FANCYLABO」もデビューしました。何か心境の変化はありましたか? 自分が思う作品を作り上げたいと思ったときに、お話を聞いてくださるかたが増えて、実現できる環境になったことに一番変化を感じます。ときどきテレビに出ていたり、DJをしていたりすることもあるので、街で声かけてもらうことも増えましたね。会社員を辞めるときは反対していた両親も、いまは音楽でご飯を食べられるようになったので安心したようで、ケガだけはしないように、あとは好きにしていいよと、言ってくれました。