ロケット弾が飛んでくる地域で暮らし続けるか、平和に暮らせる別の国に移り住むか 戦闘に直面したイスラエル在住日本人女性たちの葛藤
ただ、同時に連れ去られた友人の祖父の安否は分からないままだ。「ガザに空爆を続ければ犠牲は間違いなく増えるが、それで人質が家族の元へ戻るかどうかは分からない」。イスラエル政府には、これ以上の犠牲を生まないよう、停戦を進めてほしいと考えている。 ▽互いの存在を認め合うしか 千葉県出身の知子さんは日本人の父とタイ人の母を持ち、高校卒業後に日本から欧州に移住した。イスラエル人の男性と結婚し、2018年から現地で暮らす。 夫の祖父の科学者アハロン・カツィールさんは1972年5月、出張先の欧州から帰国したテルアビブの空港の到着ロビーで、日本赤軍メンバーによる銃撃に巻き込まれ亡くなった。出迎えに来ていたアハロンさんの妻らは辛くも無事だった。アハロンさんの息子に当たる、知子さんの義父は当時兵役中で、悲報をラジオで知った。 知子さんは結婚後、夫と一緒に乱射事件の遺族会に参加するようになった。当初は、実行犯と同じ日本人の自分が受け入れてもらえるかと不安だったが「被害者家族から『犯人には責任があるが、あなたは何も悪くない』と声をかけてもらい、ほっとした」と振り返る。
遺族会の集いを通じてパレスチナ問題について理解を深めるうち、互いの存在を認め合うしか解決策はないと感じ、アラブ系住民への差別に反対する市民活動にも関わるようになった。「テロや戦争が身近な環境で育った夫の考えは、日本で戦争を経験せずに育った自分には理解しがたい時もある。それでも、アラブ人とユダヤ人の共存を切に願う気持ちは2人とも同じ」と話す。 ただ、夫の両親は、ハマスによる襲撃で乱射事件の記憶がよみがえった様子だといい「一部の人たちによる残虐な行為で多くの命が犠牲になることを悲しんでいるようだ」と推し量る。 ▽イスラエルに住み続けるか、別の国か 10月下旬、知子さんは夫と英国へ脱出した。「ロケット弾が頻繁に飛来し、近隣でハマスの戦闘員が捕まったというニュースもあった。身の危険を感じて避難を決心した」。講師を務める陶芸教室はやむを得ず休講にした。「ブランクが長いと創作の感覚を取り戻すのに時間がかかってしまう」と、工房に戻れる日を待ち望む。