ロケット弾が飛んでくる地域で暮らし続けるか、平和に暮らせる別の国に移り住むか 戦闘に直面したイスラエル在住日本人女性たちの葛藤
日本企業に就職後、留学中に知り合った男性と結婚し、19年に移住した。日本より国土が狭く人口も少ないイスラエル。人と人との距離が近く「“大阪のおばちゃん”みたいな温かくて面倒見の良い人が多い。慣れない土地での生活は、地元の人に助けられてきた」と振り返る。 夫は民間クリニックの看護師だ。有事の際には国の命令で避難所に赴いて救護に携わる任務があり、出動要請はいつあってもおかしくない。病気を患って軍を除隊し、予備役の対象外となっており、ハマスの襲撃を知った時は、兵力になれないことにもどかしそうな様子だった。今は医療分野で役に立ちたいとの思いを強めているという。 ▽高齢者にピアノで安らぎを 日本政府はこれまで航空自衛隊の輸送機を使い、イスラエルからの邦人退避活動を実施した。好光さんにも案内があったが「夫と共にいたい」と見送った。現地にパートナーがいる日本人の知人の中には、家族が予備役に招集された人もいる。「大事な人たちと長期間離れ離れになる不安」から、国外に避難するかどうか苦悩している人は多い。
不安にのみ込まれそうな時には、幼いころから習っていたピアノでスタジオジブリの作品の曲を弾き、心を落ち着かせている。最近は地域の高齢者施設でボランティアの演奏会を開いた。多くの犠牲者が出たハマスによる襲撃で、特にホロコーストを経験した世代には動揺が広がっている。 人々に長く親しまれてきた国民的歌手のバラードを演奏すると、お年寄りたちの表情が和らいだ。「困難な時でも周囲へのいたわりを忘れずにいたい」と、今後も演奏活動を続けるつもりだ。 ▽友人の親族は人質、夫の祖父はテロ犠牲者 テルアビブ在住の陶芸家カツィール知子さん(29)は、友人の祖父母がハマスによる襲撃で人質となり、その後祖母だけが解放された。今回の戦闘と直接の関係はないが、偶然にも、知子さんの夫の祖父は、1972年に26人が死亡したテルアビブ空港乱射事件の犠牲者だ。 友人の祖母が解放された10月23日。友人と交流のあるパレスチナ人がアラビア語のニュースでいち早く解放に向けた動きを知り、友人に連絡してくれた。「人種や宗教が違っても助け合える」と実感した出来事だったという。