富田望生、11歳で東日本大震災を経験。地元いわき市を離れ神奈川へ…芸能界入りのきっかけは「福島の友達の目に留まるかも」
2015年に公開された映画『ソロモンの偽証 前篇・事件/後篇・裁判』(成島出監督)の浅井松子役でデビューした富田望生さん。 【写真を見る】主演映画『日日芸術』が公開中の富田望生さん 役作りのために体重を15キロ増量したことも話題に。演じる役柄によって体型も容貌も変貌自在に果敢に挑み、若手実力派として注目を集め、映画『チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』(河合勇人監督)、映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(大根仁監督)、『だが、情熱はある』(日本テレビ系)、連続テレビ小説『ブギウギ』(NHK)、舞台『ジャズ大名』など多くの作品に出演。 現在、映画『日日芸術』(伊勢朋矢監督)が公開中の富田望生さんにインタビュー。
小5のときに東日本大震災
福島県いわき市で生まれ育った富田さんは、生まれる前に父親を亡くし、母親と曾祖母の3人暮らしで、小さい頃は元気いっぱいに走り回っているお転婆な子どもだったという。 「海や山を走り回って、毎日のように膝から血を出してケガをたくさんする、本当にお転婆というワードがピッタリな、動くのが大好きな子どもでした(笑)」 ――小学校5年生のときに東日本大震災が。 「はい。そのときは学校にいました。3月11日は金曜日で、ホワイトデーが14日で月曜日だったので、男の子たちがレクリエーションをやると言って、教室の飾り付けをしてくれていて。私の自宅は学校から一番遠い地区だったので、居残りの子がいると必ず集団下校しましょうという決まりがあって残っていた状態でした。 その1週間くらい前にも大きな地震があったので、最初は『また地震が来た』くらいの感じだったのですが、途中から、『あれ?これ違うぞ』ってなって。 教室にあったストーブが倒れ、窓ガラスに一斉にヒビが入って…まるでジェットコースターに乗っているみたいでした。気がついたら机の下にみんなで入っていて、揺れが収まった段階で先生が家まで送ってくれることになって帰宅をしました」 ――お母さまはお仕事で、ひいおばあさまはご自宅、富田さんは学校だったのですね。 「はい。いわき市といっても海からはちょっと離れていて長い坂道があった場所だったので津波の心配はなかったんです。それで歩いて帰ったのですが、曾祖母は90歳近かったので心配でした。電気もガスも電話も水道も全部止まってしまっていたので、連絡を取る手段もなくて…母と会えたのは朝方でした」 ――まだ11歳、大変でしたね。 「怖かったです。でも、近所付き合いがとてもある地域だったので、周りのお隣さんたちがいろいろ助けてくれて。朝方に母と会うことができたので、曾祖母も一緒に母が働いているホテルに向かいました」 ――富田さんも炊き出しを手伝っていたそうですね。 「はい。ホテルの1階のレストランのシェフが、母とコンビニやスーパーにあるものを買い出しして、味噌煮込みうどんとかを作って提供していました。本当にちょこっとずつだけれども、ひとまずお布団類はあるから帰れるまでいてくださいみたいな状態で。 いろんな宿泊先から出なきゃ行けないけど帰れる状況じゃない方々が集まって来て、身を寄せ合って過ごしていたという感じでした。それが10日間ぐらいは続きました。 学校ももちろんないし、友だちともまったく連絡が取れない。もう何がなんだかわからないまま、時間だけが過ぎていくという感じでした」