富田望生、11歳で東日本大震災を経験。地元いわき市を離れ神奈川へ…芸能界入りのきっかけは「福島の友達の目に留まるかも」
※富田望生プロフィル 2000年2月25日生まれ。福島県出身。2015年、映画『ソロモンの偽証 前篇・事件/後篇・裁判』(成島出監督)でデビュー。映画『あさひなぐ』(英勉監督)、映画『私がモテてどうすんだ』(平沼紀久監督)、『宇宙を駆けるよだか』(Netflix)、連続テレビ小説『なつぞら』(NHK)に出演。南海キャンディーズのしずちゃん役を演じた『だが、情熱はある』で、第27回日刊スポーツ・ドラマグランプリ春ドラマ助演女優賞と第116回ザテレビジョンドラマアカデミー賞助演女優賞を受賞。映画『日日芸術』が新宿K’s cinemaで公開中。2025年1月に主演映画『港に灯(ひ)がともる』(安達もじり監督)が公開予定。
地元・いわき市から神奈川県へ
2011年3月15日(火)、いわき市中心部から約40キロメートルの距離にある東京電力福島第一原子力発電所の原子炉建屋で水素爆発が起こり、富田さんは地元を離れることに。 「原発が爆発した時点で、理解がもう追いつかない出来事でした。私は福島に原発という爆発してはいけないものがあるという認識もなかったのですが、周りにいる大人たちが『もうダメだな』って言っているのがすごく印象的で。『あかんことが起こってしまったんやな』という感じでした。 母と曾祖母とシェフも一緒にみんなで車で神奈川に向かうことになったのですが、ガソリンスタンドはどこも混んでいてすごい行列だったので、途中で知人の家をたどりながら、ちょっと補充させてもらって、とにかく進み続けたという感じでした。40時間近くかかったんじゃないかなと思います」 ――お友だちとも別れて…というのは、やっぱり不安だったでしょうね。 「そうですね。イヤでした。福島がすごく好きなのもあったし、福島を出るという感覚がなかった。それが自ら出ようと決めて出たわけでもなく、突然そういう日が訪れてしまったことの動揺みたいなのがありました」 ――新しい学校はいかがでした? 「表面上は馴染めていたとは思います。友だちとも別に何を言われてもあまり心が動かないというか…。『おい、放射能』って言ってくる子もいましたけど、『大丈夫?』ってかばってもらうのもつらくて。それこそきれいごとを言っているように聞こえてしまって素直に『ありがとう』とは思えなくて…そういう葛藤はありました」 ――小学校の卒業式は、福島の元の学校で行われたそうですね。 「はい。うれしかったです。卒業式の10日前に元の学校に転校し直して、やっぱりここだなって思いました。とてもいいところなんですよ。友だちも同じ場所で育って、同じ学校生活を送っている子という感覚が福島の学校にはあって。同じ時を生きてきた同い年の子たちが今そばにいるんだなっていう感覚が、福島に帰ったときはありましたね」 富田さんは、福島で卒業式を終えた後、東京の中学校に入学。東京の子たちにとっては「福島から来た子」、地元いわき市の子たちにとっては「東京に行ってしまった子」という中途半端な立場に苦しんだという。 ――芸能界に入ることは? 「全然考えてなかったです。母親の携帯(電話)で、『3カ月でデビューしてみない?』というような広告を見つけて。3カ月後にデビューしたら、福島の友だちの目にとまるかもしれない。そんなことがあったらいいなと思って養成所に入ったのが最初の入口でした。 最初は、母には何も言わずに応募しました。『オーディションに来てください』という書類で母が気づいたのですが、『受からないかもしれないし、呼ばれたものは行きなさい』みたいな感じで一緒に来てくれました。 福島ではピアノを習っていたのですが、福島の先生の雰囲気を大切にしていたからか、東京にはマッチする方がいらっしゃらなくて。自分が好きで打ち込んでいた習い事が自分の手から離れてしまった状況だったので、新しく夢中になれることを見つけられて良かったなということで、養成所の入学金は母が出してくれました。 福島の友だちに見てもらいたいというのがきっかけでしたけど、いつからか、その習い事を週に1回しているということで自分の心が満たされるようになっていました」