突然の訃報から2年――志村けんさんが日本のお笑い界に残したもの
新型コロナウイルスによる肺炎で、2020年3月29日に亡くなった志村けんさん(享年70)。国民的コメディアンの訃報は海外でも報じられ、台湾の蔡英文総統も自らのSNSに日本語による追悼文を掲載したほどでした。 数々のギャグ、名コントを生み出した志村さんについて、「日本人の笑いの教科書を作った」と、評するのは江戸川大学教授でお笑い評論家の西条昇さん。『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』で構成作家を務めたこともある西条さんに、志村さんの笑いが世代や国籍を超えて愛される理由について話を聞きました。(Yahoo!ニュースVoice)
――西条さんと志村さんとの出会いはどのようなものだったのでしょうか。 初めてお仕事をさせてもらったのは、TBSの『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』でした。当時、自分で書いたコントやコミックバンドの映像を、『加トケン』のプロデューサーの方に送ったら、「コントのアイデア出しをしてみないか」と誘われたのです。ドリフ世代ど真ん中の私にとって、憧れの志村さん、加藤茶さんと一緒に仕事ができるなんて、この上ない機会でした。
――会議の様子はどのようなものだったのでしょうか。 志村さんや加藤さんが作家の書いたコントの台本に目を通すのですが、「うーん」と腕を組んだまま、そこから1時間、2時間と無言が続くことは珍しくなかったですね。午後3時に会議が始まり、その日の夜12時までに終われば早いほうです。ときには深夜2時までかかって、1回分のコントを考えていました。志村さんたちから出てきたアイデアが形になるまで、ギャグを何度も絞り込み、非常にストイックに笑いを作り込んでいました。 当時、志村さんは日本では販売されていない海外のコメディ番組やコメディ映画のVTRを大量に仕入れ、何本も見て勉強していました。 会議では、「この間、こういう映画を見たんだけど、これをちょっと変えて何かできないかな」と、コント作りのヒントにされていました。