「それまでアイドルがやらなかったことを積極的にやらせた」放送作家の鈴木おさむが語る『スマスマ』が“バケモノ番組”になったワケ
「SMAPだけの鈴木おさむじゃないぞ」
岡村 そんなSMAPとともに『スマスマ』という番組自体もバケモノになっていって。高倉健さんが出るとか、マイケル・ジャクソンが出るとか、番組の格がぐんぐん上がっていった。目の当たりにしてどう感じてました? 鈴木 でも番組が始まる前は、いろんな人に「当たらないよ」ってすごく言われたんですよ。『スマスマ』って96年4月から始まったんですが、その前の時間帯は「月9」で、木村くんと山口智子さんの『ロングバケーション』。視聴率30%越えのドラマだったけれど、ドラマが終了したら数字は下がると言われたんです。でも下がらなかった。 森且行くんがSMAPを脱退することになったときも、彼がいなくなったら絶対ヤバいと言われたんです。でも逆にどんどん上がっていった。そして、高倉健さんが出たのが97年の秋なんですが、そうなってくると、たかがアイドルの番組とバカにしてた人たちが無視できなくなってくる。中でも男の人たちが観てくれるようになったのはデカかった。これまでのアイドルとはまったく違うと、世間の評価もガラッと変わりましたから。 岡村 エキサイティングだったでしょう、そのど真ん中にいて。 鈴木 それはもう。ただ、僕は彼らの番組にほぼ全部関わらせてもらいましたが、ドラマだけはやってなかったんです。だから、僕の中でいちばん嫉妬して焦ったのが、ドラマスペシャル『古畑任三郎vs SMAP』。三谷幸喜さんはなんて面白いことを考えるんだろうと。そして、飯島さんが三谷さんのことを褒めれば褒めるほど、内心「なんだよ!」と(笑)。 アートディレクターの佐藤可士和さんもそう。SMAPのアルバムジャケットを手がけ一気にブレイクするんですが、彼の名前が有名になればなるほど、「なんだよ!」と(笑)。ただ、三谷さんはもちろんですが、可士和さんもそれ以外の仕事もすごい。僕はSMAPだけをやっていたらそのうち彼らからも世の中からも必要のない存在になっちゃうなと。だから当時、『めちゃイケ』も並行してやっていたことが本当に身になったんです。お笑いのすべてを飛鳥さんに教わりましたから。 岡村 俺はSMAPだけの鈴木おさむじゃないぞ、と知らしめたかった。 鈴木 実際、『いきなり!黄金伝説。』という『電波少年』っぽい番組を始めたり、『¥マネーの虎』という番組を始めたり。『¥マネーの虎』は起業を目指す人が投資家に事業計画をプレゼンして出資を募る番組ですが、すごく褒められたんです、SMAPのメンバーに。タレントに頼る番組ではないものが当たったのはうれしかったですね。 「僕は最初『歌をうたうのかな?』ぐらいに思ってた」台本を書いた鈴木おさむが明かす、SMAP“謝罪放送”のウラ側 へ続く
岡村 靖幸/ライフスタイル出版
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