「それまでアイドルがやらなかったことを積極的にやらせた」放送作家の鈴木おさむが語る『スマスマ』が“バケモノ番組”になったワケ
同い年だからジャストのものを作れる
鈴木 木村くんと中居(正広)くんと俺、同い年なんですよ。『SMAP×SMAP』に僕がいて良かったところって、実はそこなんです。岡村さんって何年生まれですか? 岡村 65年です。 鈴木 65年生まれの人と僕が会議をすると、『3年B組金八先生』の観てたシリーズが違うから、センスも全然違うし、どうしてもズレが出てくる。でも『スマスマ』の場合、僕はメンバーと同い年だから、好きなものや好きな音楽、観てたテレビが一緒。ジャストのものを作れるんです。 鈴木 例えば、香取慎吾くんがM.C.ハマーのパロディをやって人気になりましたが、ハマーがブレイクしたのは80年代末から90年代初頭で、90年代後半になると完全に過去の人だった。そんな彼をいま掘り返したら面白いと思うのは、当時25とか26とかその辺の年齢層の人たちで、30歳以上の人は興味がない。そのリアルな興味をジャストなタイム感でテレビから放つことができた、それが番組にとって僕がいることのメリットだったし、SMAPにとっても良かったと思う。そういう作り方って意外と新しかったんです。 岡村 90年代から2000年代のテレビは完全にSMAPやダウンタウンが中心だった気がするんです。中でもSMAPは、歌だけじゃなく、演技もできる、コントもできる、バラエティのMCもできる、アイドルの形をガラッと変えた。ブレーンとして関わっていたおさむさんの力もあるけれど、おさむさんを引き入れた飯島さんの直感力がすごかったんだろうと本を読んですごく思ったんです。飯島さんはどんな方ですか? 鈴木 簡単に言うと、「東映まんがまつり」みたいな人(笑)。みんなが見たいものを見せて喜ばせる、楽しませるという意味で。そして、岡村さんも言うように、それまでのアイドルがやらなかったことを積極的にやらせた。 光GENJI以降、90年代になるとアイドルがダサいと言われる時代になったんです。そこから、バラエティでコントをやったり、音楽面ではクラブミュージックに傾倒したり、『an・an』の「抱かれたい男」特集に出てみたり。アイドルとは離れたところにあるものをどんどん取り入れ、それを巧みに掛け算することで世の中をわくわくさせていった。その手腕がすごかったんです。
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