田中角栄氏の新潟3区圧勝はムラ意識とウラ意識の反発と怨念か 昭和51年「サンケイ抄」 プレイバック「昭和100年」
つまるところ、ロッキード事件とは何だったのだろう。逮捕された田中角栄前首相は新潟三区で驚くべき票数を積み重ねて圧勝し、逮捕した稲葉修法相は隣の新潟二区でみるも無残な苦戦をした。 【写真】田中角栄氏のインタビュー後、1センチほどの封筒を渡された田原総一朗氏「100万円は入っていたと思う」 ▼「ロッキードはどうした?」というヤジに、〝辻説法〟中の田中氏が「そんなものは新聞を読め。新潟の道路はどうする。トンネルや新幹線はどうするんです。だれが引っ張ってくるんです?」とやり返した話がある。「地元への貢献」が「ロッキード批判」を一しゅうした勝因は、そのタンカに集約していると言っていいのだろう。 ▼知日派ジャーナリストのフランク・ギブニー氏の著書『人は城、人は石垣』(サイマル出版刊)のなかに「日本は義理と人情のクモの巣社会だ」という言葉がある。田舎はむろん大都市も巨大なムラであり、強固なタテ意識で結びついている、とこの人は見た。 ▼新潟三区もその例外たりえず、いやむしろその典型ということになりそうだが、この〝クモの巣社会〟にはもう一つ、日本海的風土の集団意識という独特な要素が作用しているのではないだろうか。奇妙な、といえば奇妙だが、日本列島の太平洋側を〝表日本〟、日本海側を〝裏日本〟という呼び方がある。 ▼気象的にも経済的にも日の当たる〝表日本〟の暮らしに対し、豪雪の〝裏日本〟の生活には日が当たらない。そんな日本海風土に橋をかけ、道をつくり、トンネルをうがってくれた(と信じている、あるいは錯覚している)田中氏への支持票は、ムラ意識とウラ意識の人びとの反発と怨念が噴きでたものかもしれない。 ▼新潟三区は〝国際的な関心〟をあつめ、世界各地から外国特派員が駆けつけてきた。再び、つまるところロッキード事件とは何だったか。有権者にとって〝本当の利益〟とは何なのか。同区に象徴される民主主義のあり方は、しばらく社会学者や政治学者にとって興味深い研究テーマになるだろう。