ボールを挟んで走る激痛 登録抹消→病院でも治らず…176勝左腕が抱えていた“謎”
球の遅い投手の“宿命”「年に3試合くらいは大量失点をやらかす」
「僕は月間MVPも取れるかなと思っていたので投げたかったんですけど、時期も早いから1回抹消しようとなりました。でも病院に行っても治らなかった。針を打ったりとか、いろいろやったんですけどね。2週間経って『自己責任でボルタレンを飲んでやりますから』と言ったら『もう1週間だけ待ってくれ』と言われて、また病院に……。仰木監督からも塗り薬が来た。馬に塗る薬、めっちゃ浸透するヤツを送ってもらったんですけど、それでも治らなかった」 結局、星野氏は“強行突破”を決断した。「『もういいです。これで投げられなくなったら、僕のせいですから、僕の責任ですから』と言って(1軍に上がって)ボルタレンを飲んで投げました」。約1か月ぶりに5月12日のロッテ戦(千葉)に先発。5回1/3を3失点で敗戦投手になったが、薬が効いて痛みに苦しむことはなかった。驚くべきはその後だ。「1か月飲んでいたら、治っちゃいました。不思議なことに何も飲まなくても痛くなくなったんですよ」。 5月21日の日本ハム戦(東京ドーム)で、5回2/3を2失点で4勝目。5月28日の西武戦(倉敷)では5勝目を6安打完封勝利でマークした。フォークを投げる時の痛みはもはや一度もなかったという。前半終了時点で、8勝3敗でオールスターゲームにも出場。終わってみれば10年連続2桁勝利となる13勝5敗をマークしてオリックス連覇の立役者の1人になった。いったい、あの痛みは何だったのか。「そうですよねぇ。無理矢理投げてねぇ」と星野氏は今も首を傾げた。 ちなみに、この年の防御率3.05が星野氏のキャリアハイだが、これについてはこんなことも話す。「防御率が2点台にならなかったのは、だいたい年に3試合くらいは、早い回に大量失点をやらかすからなんですよ。言い訳ですけど、球の遅いピッチャーの宿命かなと思います。ちょっと甘いと(バットの)根っこに当たっても、力がない分、やっぱり落ちるんですよね。それが1本くらいはいいけど、3本くらい続くと投げるところがなくなってボッコボコにされるんです」。 とはいえ、毎年必ずそんな状況に陥りながらも1シーズンのうちにきっちり立て直していくのも星野氏の技術だろう。どんどん小さくなっていったテークバックなど、投球フォームの工夫をはじめ陰の努力もあってのことなのは間違いない。1996年は謎の故障も何とか乗り越えて結果を出した。“遅球プレーヤー”ならではの問題などもクリアしながら、その存在感を増していった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi