婚約破棄、不妊治療、離婚を経て辿り着いた・・・穏やかな幸せ|大人婚してよかった!|STORY
不妊治療の末に、お互いの幸せのために選んだ離婚
最初の結婚をしたのは、プランナーとして仕事も軌道にのっていた38歳の時。パートナーとは共通の知り合いを通じて出会い、2~3年のお付き合いを経て入籍しました。お互いに忙しく、月に2回だけデートする日を決めて、夫はそれ以外の週末にゴルフに行くという生活。私も週末の仕事が多かったので、割とドライな関係だったと思います。 40歳を目前に控えた頃、真剣に子どもを産むかどうかについて話し合いました。このまま夫婦2人の人生も悪くないかなと思っていた私とは対照的に、彼はすごく子どもを望んでいる人だったんです。そこから不妊治療を1年半程続け、体外受精もしましたね。お互いに仕事も多忙な中での不妊治療は、時間の調整はもちろん、精神的・体力的にも本当に大変でした。何度かチャレンジしたけれど思わしい結果が得られず、メンタル的にも追い詰められ…。 夫には「もう限界かも」と伝えたものの、それでもやっぱり、彼には子どもが欲しいという明確な意志があった。養子をもらうのか、代理母か…など色々な選択肢も話し合ったのですが、最終的には「他で子どもをつくってもいいかな?」という言葉まで飛び出したんです。それを聞いて、夫は自分のDNAをもった子どもが欲しいのかもしれないと気づいて。私は彼のリクエストに応えられないんだと思った時に、この先一緒にいてもお互いにハッピーではないなと…。尊敬している相手で、このまま人生を共に歩むことを捨てきれない気持ちもあったけれど、悩んだ末に離婚を決心しました。彼はその後、再婚した方との間に2人の子どもが生まれたので、本当によかったと思っています。 離婚してから、私はもともと住んでいた港区で新たにマンションを借りて一人暮らしを始めました。その1年後に大流行したのがコロナウィルス。ウェディングの仕事は、全てストップせざるを得ない状況でした。貯蓄をしていたわけでもないし、これからどうしよう…と悩みましたね。そんな中で、今自分が持っている経験やスキルで仕事にできるものって何だろうと考えた時に、自分のライフスタイルやインテリアなら活かせると思ったんです。そこから店舗づくりやインテリアコーディネート、洋服のディレクションの仕事をスタートしました。ちょうどその頃、鎌倉に住んでいる友人の家に頻繁に遊びに行くように。東京にはない鎌倉のゆったりした空気感に癒されている自分に気づき、移住することに決めました。