「総選挙、負けても構わない」 尹大統領は政治も価値も放り投げた(2)
(2)国民説得の失踪=青瓦台(チョンワデ)から竜山(ヨンサン)大統領室への移転、そしてドアステッピング(出勤途中の短い質疑応答)は国民との疎通の象徴だった。しかし2022年9月尹大統領の失言騒動「バイデン-飛ばせば」以降、ドアステッピングは全面的に中断されることになった。尹大統領は「1時間会議をすれば55分間一人で話す」という長広舌で有名だったが、そもそも記者会見には消極的だった。歴代政府の慣例だった新年記者会見を一度も開かなかったほか、総選挙前まで会見は就任100日会見が唯一だった。 政策は利害当事者の立場を調整するのではなく、一方的だった。これに反発すれば私教育利権カルテル、医師カルテルと烙印を押された。「政策推進も捜査をするように行っている」といううわさも出るようになっていた。 (3)価値の失踪=現政権のモットーは「公正と常識」だった。尹大統領は2013年国政監査で「人に忠誠を尽くさない」、2020年「検察総長は法務部長官の部下ではない」などの言葉で脚光を浴びた。権力に屈しない、尹錫悦政府の象徴資本だった。 だが、執権後形態は正反対だった。アキレス腱は金建希(キム・ゴンヒ)夫人だった。株価操作、ブランドバッグ、ミョン・テギュン氏疑惑が噴出するたびに司正機関の刃は金夫人を避けた。金建希特検法を防御するために与党圏のエネルギーを総動員し、国政成果はそのまま葬られた。金建希リスクに現政権が窒息状態であるにもかかわらず、尹大統領はこれを放置した。このように尹錫悦政府の失敗は「権力者・尹錫悦」の誤りから始まった。特に特捜部検事から短期間に国政運営の責任者に登板した点が墓穴を掘ることになった。ただし「すべての責任を個人に転嫁して、激烈化した政治の現実を看過するのは半分の処方」〔キム・ヒョンジュ培材(ペジェ)大碩座教授〕という指摘だ。 韓国政治システムが崩壊したというのは、大多数の専門家の共通した診断だ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の死、文在寅(ムン・ジェイン)政府の積弊清算などを経て相手はいつのまにか清算対象になった。陣営の対決が厳しいほど内部の異見は「スイカ」(表と裏が異なる)であり「裏切り者」に置き換えられる。勝者独占の制度も油を注いでいる。0.73%ポイント差で勝っても、大統領は政府を越えて司法府人事まで思うままに行う。4月総選挙で野党「共に民主党」と与党「国民の力」得票率差はたった5.4%ポイントだったが、地方区の議席数は161議席対90議席という結果だった。政治コンサルティング「ミン」のパク・ソンミン代表は「87年体制はもちろん、88年小選挙区制も限界に直面した」と診断した。荒廃化した政治文化と古ぼけた制度をこのまま放置すれば、第2・第3の尹錫悦がまた排出されるかもしれない。 チェ・ミンウ/政治部長