「医学部を目指した20年」夢を諦めた彼女の行く末 医師になりたかった理由、新たな道を選んだ訳
5浪目は気分を変えて、1浪で通っていた河合塾にふたたび戻る決断をします。さすがにもうこれ以上の浪人はつらいと思ったtotoronさんは、河合塾で京大の理系を目指すコースに入りました。 「もうこの年は医学部医学科だけではなく、別の学科に受かっても進学しようと思いました。浪人生活でいちばんつらかったのが、この年でした」 ■断腸の思いで医学部医学科受験を諦める 彼女はこの年まで落ち続けた理由を、「導いてくださる先生の不在」と考えます。
「当時はネットが発達してないので、周囲に誰も志望者がいない未知の進路に進むためには、手探りで自分の道を開拓しないといけませんでした。受験は才能・能力も必要ですが、いちばん必要なのはノウハウだと感じます」 この年も焦りから「ずっと自習室にこもって勉強していた」というように努力を続けていた彼女でしたが、京大と医学部医学科の判定はずっとEのままでした。結局、センター試験も7割ちょっとだったために、断腸の思いで京大と医学部医学科の受験を諦める決断を下しました。
この年、彼女は大阪薬科大学・京都薬科大学・神戸薬科大学・摂南大学を受験し、大阪薬科大学と摂南大学に合格して、ようやく彼女は5浪で大阪薬科大学に進学しました。 5浪で大阪薬科大学に入学したtotoronさんは、ひたすら中学受験の塾でアルバイトをしながら、勉強に打ち込む日々を送ります。「医学部医学科落ちがたくさんいるし、授業自体も面白かった」と満足していた大学生活。しかし、その生活も2年目で終わりを告げます。
「親が大学に行っていないこともあり、薬学部が6年間通うところだとしらなかったんです。1年目は日本政策金融公庫でお金を借り入れてもらい、授業料と入学金を合わせた400万をなんとか大学に納めたのですが、親の事業の失敗もあって、次の年からはとても払えないということで休学しました。 今思えば、奨学金を調べて駆使したら、卒業まで通えたかもしれませんけどね……。そこから私は、とにかくどこかの大学を出なければいけないと思い、そのためには再度受験するしかないと思って、ひたすらバイトでお金を貯めながら、センター試験を受けました」