「医学部を目指した20年」夢を諦めた彼女の行く末 医師になりたかった理由、新たな道を選んだ訳
「当時の模試の結果はあまり記憶にないのですが、5月の河合塾全統記述模試で化学の偏差値が29だったことだけは覚えています。トータルの偏差値も50未満だったので、とにかくやるしかありませんでした。1浪目のセンター試験は結局6割ほどに終わり、医学部医学科はどこもE判定でした」 医学部医学科に行けないなら、大学には行けなくてもいいと思っていたそうで、この年は大阪市立大学(現:大阪公立大学)の医学部医学科を受験したものの、不合格でした。
■4浪目で突然成績が上がる 2浪目に突入したtotoronさんは、保険金を解約して費用を捻出し、駿台予備学校に入学。ひたすら勉強に打ち込みます。 予備校の先生にも「とにかく時間をかけてやるしかない」と言われ、医学部医学科入学まで何年もかかるものだと覚悟を決めたのも、この時期だと言います。この年のセンター試験は6割で、三重大学の医学部医学科を受けるもあえなく撃沈でした。 3浪目も前半は金・土・日に1日あたり4~12時間程度、ホテルの配膳のアルバイトをして、講習代や受験費用を貯めながら、駿台で勉強を続けますが、成績は上がらず、センター試験も6割未満。ふたたび三重大学医学部医学科を受験したものの、不合格に終わりました。
しかし、4浪目では進展を見せます。この年も前半は配膳のバイトをしながらの勉強でしたが、毎回模試の偏差値が40だった化学が、ある日突然60にジャンプアップします。数学も40から55程度に上がり、着実に勉強の成果が現れ始めました。 「それまでずっと成績も上がらず、わからないことばかりでつらかったのですが、めげずに毎回わからない箇所を先生に質問しにいったので、少しずつわかることも増えて、基礎も身に付いてきたのだと思います」
とはいえ、センター試験の得点は上がったものの、7割程度。この年も三重大学の医学部医学科を受け、落ちてしまいます。初めて私立の医学部医学科や大阪薬科大学(現・大阪医科薬科大学)なども受験しますが、全落ちで5浪が確定しました。 「3浪までは『とにかく頑張ろう、頑張ったらきっといける、という感じでした。でも、成績が上がってくると恐怖を抱くようになりました。頑張っても、この年にはもう(医学部医学科に)いけないのが肌感覚でわかってくるので。センター試験でこけたら、もう1年やらないといけない。この頑張った1年はほぼリセットになります。センター試験が思うように取れなくて、情けなくて悲しくて、大号泣したのもこの4浪目の年でした」