知られざる裏側!サラブレットたちを“とにかく丁寧に運ぶ”競走馬の輸送の世界とは
一年を通してさまざまなレースが全国各地で開催される競馬。近年はスマホゲームやアニメの影響で若い世代でも競馬に興味を持つ人が多くなっている。騎手や調教師はテレビなどのメディアで取り上げられることが多いが、競走馬を各地に運送するドライバーがいることはあまり知られていないのではないだろうか。 【写真】慣れていない馬の積み込みには細心の注意を払う 競走馬たちは普段から競馬場やその近辺にいるわけではない。北海道をはじめ各地で飼育された競走馬は、レースの前になるとトレーニング・センターへ移動しレースに備える。 こうした競走馬の移動には専用の運送業者が存在している。一般的にあまり知られていないであろう競走馬の運送について、大江運送株式会社代表取締役の白川典人さんに話を聞いた。 ■競走馬のストレスを和らげる「ワンクッション輸送」とは 1969年の創業から競走馬の運送を行っている大江運送。有馬記念をはじめとしたG1レースや地方のG2、G3といったレースに参加するために競走馬たちは普段飼育されている牧場などからトレーニング・センターへと移動し、体調やメンタルを調整する。大江運送ではこうしたトレーニング・センターへの輸送を北海道から茨城県や滋賀県へ行っている。その走行距離は茨城県までで約1000キロメートル、滋賀県までは約1500キロメートルにのぼる。まさに、競走馬を支える縁の下の力持ちともいえるだろう。 しかし、長距離の移動にはさまざまなリスクが伴うという。最も多いケースが「輸送熱」だ。9割の競走馬が生涯に一度は胃潰瘍になるとまで言われるほど馬はストレスに非常に弱い生き物。そのため、輸送中の疲労からくる風邪のような症状を呈する輸送熱が起きてしまうことがあるのだという。 日本中央競馬会(JRA)の輸送に関する研究結果によると、輸送開始から18時間後には10%、24時間後には20%、到着時の26時間後には25%の馬が発熱をきたす。その後も右肩上がりに発症率が上がっていくという報告もある。 「輸送熱を起こしてしまうと、輸送後すぐにトレーニングに入れず、レースの予定が狂ってしまいます。さらに肺炎に悪化すると最悪の場合、命に関わることもあります。競走馬にとって回避したい状態です。こうしたリスクを少しでも減らすために弊社では『ワンクッション輸送』という方法を採用しています」 従来の輸送は、北海道を出発後、トレーニング・センターのある地域に20時間以上かけて真っ直ぐ向かっていた。ワンクッション輸送では、中継基地となる牧場で馬を降ろして半日から1日程度休憩をとってから目的地に向かう。とりわけ滋賀県のトレーニング・センターなど関西方面へ向かう際に採用しているそう。大江運送では2014年4月からこの方法を取り入れ、10年を迎えた現在も安定的に競走馬たちを送り出せているという。 「ワンクッション輸送は、輸送料金が少し上がるので、開始当初は敬遠する取引先も少数いらっしゃいましたが、2、3年ほどすると定着してスタンダードな輸送方法になりました。なにより、この方法のほうが馬にとってよいことを理解してもらえるようになり、広まったのだと思います」 関西方面への輸送はノンストップで走行すると約36時間かかっていたという。神経質でじっとしていられない競走馬も多く、輸送熱のほかにもお腹を壊したり怪我をしたりすることもあったそうだ。ワンクッション輸送を導入することでストレスによる諸症状を緩和することに成功した。 ■知られざる輸送車の内部にも迫る 高速道路を走行していると小さな窓が付いたコンテナのようなものを運ぶ大型のトラックを見かけたことはないだろうか。そのトラックこそが競走馬を輸送する専用の輸送車である。トラックの中で馬はどのような状態で格納されているのか、車内にはどのような工夫がなされているのか、疑問をぶつけてみた。 「輸送車内は縦に2列で3頭ずつ、計6頭が乗り込めるようになっていて、1頭ずつスペースが区切られています。周囲はクッション材を使っていてぶつかっても怪我をしないようにしていて、真後ろは馬が蹴り上げたりするので頑丈に作っています。急に強い光が入ることを嫌がるので電気をつけた状態で走行しているんですが、青色LEDライトを使用すると比較的おとなしく乗っていてくれますね」 ドライバーが輸送時に気に掛けるのは「その馬が初めて輸送車に乗る馬か、そうでないのか」だという。その理由に白川さんは「初めての輸送は慣れていないこともあり、暴れてしまい、なかなか乗ってくれなかったり、積み込んだあと4、5時間ほどすると車内で暴れ出してしまったりすることがあるんです」と語る。 馬はとても賢い動物と言われている。ベテラン競争馬になると人にも輸送にもある程度慣れてきているので、乗せるときも難しいことはあまり起きないのだという。しかし、はじめて北海道を出てトレーニング・センターに向かう競争馬は慣れていないため、怪我や病気に発展しないよう、細心の注意を払うのだという。 「限りなく馬運車に乗せる前の状態そのままで目的地へお届けすることをモットーにしているので、ワンクッション輸送のほか馬を積み込んだドライバーが目的地までお届けし、車内ではドライバーが交代で馬の状態を見守っています」 ■バックステージから競走馬を支える新たな方法を模索 より安全に競走馬を輸送するためにできることを増やしていきたいと語る白川さん。運送方法や運送者の工夫のほか、どのようなことができそうなのだろうか。 「たとえば、落ち着ける周波数を出す器機を耳に取り付けられる被り物や輸送車内をもっと快適な状態にできるような器機の導入です。以前、音楽を聴かせることで冷静にさせる方法を海外で採用しているという話を耳にしました。それが周波数によるものであるとわかり、被り物として取り入れてみたいと考えています。快適な空間づくりでいえば、夏場の室内空調により冷却効果の高い冷凍機を使って暑さに弱い馬を守りたいですね」 年々夏場の気温が上昇していることもあり、競走馬の輸送がピークを迎える4月から9月ごろは特に気温が高い時期でもある。寒さに強く暑さに弱い馬にとって、車内環境はストレスに直結するのだろう。 「我々のような、競走馬の輸送というあまり知られていない職業について、もっと世間的に知ってもらいたいとも思います。華々しいレースの裏側には多くの立役者が存在し、縁の下の力持ちとなる仕事があることを知ってもらって、レースの楽しみ方をより広げてもらえたらと思います」 2024年12月3日発売となった「バックステージの走者 競走馬を運ぶプロフェッショナルの使命」ではこのような競走馬の輸送にまつわる魅力を伝えているという。全国の競馬ファンが毎年心待ちにしている12月22日(日)に中山競馬場で開催される有馬記念は、こうした知られざるホースマンの活躍に思いを馳せながら楽しんでみてはどうだろうか。 文・取材=織田繭(にげば企画)