広島で被爆した韓国人男性、「北朝鮮のスパイ」にでっち上げられる 13年間も拘束…数奇な運命たどった今願う名誉回復【朝鮮半島と在日「スパイ」(上)】
日本の敗戦は朝鮮半島の「解放」だったが、朝鮮半島は米国が支持する韓国と、ソ連が支持する北朝鮮に分断され、1950年から朝鮮戦争が始まった。親戚の誘いから、北朝鮮を支持する在日朝鮮人組織の集会に参加するようになった。「原爆を投下した米国が憎くて」という気持ちもあったという。 1950年代、靴工場で働きながら、同じ済州島出身の在日コリアンの詩人、金時鐘(キムシジョン)さん(95)、作家の梁石日(ヤンソギル)さん=今年6月に死去=らのサークル「大阪朝鮮詩人集団」に参加した。新婚夫婦が住む隣室から夜に聞こえる声、音が気になる苦悩をつづった詩などを同人誌に掲載した。 ▽北朝鮮へ渡った兄のことで脅されて 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の青年組織のメンバーだったが、1950年代後半、組織を批判すると「反動だ」と罵倒され、組織から遠ざかった。 パチンコばかりの生活から脱却しようと韓国への帰国を考えた時、朝鮮総連の関係者が接触してきて「革命家として韓国へ行け」と言われた。日本から北朝鮮へ渡っていた兄のことを持ち出し「おまえ次第で兄がどうなるか分からない」と脅され、思想教育を受けさせられたという。「韓国で(北朝鮮に関わることを)何もしなければいい」と考え、1964年に故郷の済州島に帰り、農業を営んでいた。 ▽眠らせない拷問
だが1972年、韓国当局から突然、日本で北朝鮮関係者から指令を受けた「スパイ」だとして連行される。金良珍さんよりも先に大阪から韓国へ帰国していた知人がスパイ容疑で連行され、その尋問過程で金さんの名前が関係者として挙がったためとみられている。 金さんは昨年7月、政府の人権侵害調査機関「真実・和解のための過去事整理委員会」の聞き取りに、次のように説明した。 「(容疑内容を)『知らない』と否認すると、拷問が始まった。捜査官は顔を殴ったりすねを蹴ったりし始めた。耐えられなかったのは、眠らせてもらえなかったことだ。捜査官が望むように私が話さないから、捜査官が交代しながら、1週間ほど、私を眠らせないようにし続けた。自暴自棄になり、ただ『やりました』と答えた」 国家保安法違反罪などで懲役15年が確定。1985年に仮釈放されるまで、拘束は約13年間続いた。 ▽「スパイはしていない」 金さんは2022年、委員会に事件の調査を申請した。今年4月、委員会は「申請者(金さん)は捜査機関から不法連行、不法拘束され、陳述の強要と過酷行為を受けて処罰された」と結論付けた。
金さんは、委員会の聞き取りや取材に「スパイはしていない」と繰り返し訴えた。日本で思想教育を受けさせられたとは話しており、捜査当局のストーリーが「一から十まで全てを捏造というわけではない」とは述べるが「一部を拡大解釈したのだから、捏造だ」と強調する。 委員会は再審開始も勧告した。委員会の調査結果を基に再審で無罪となれば「名誉が回復する。それで何か変わるわけではないが、満足感は得られると思う。やれるところまでやりたい」と語った。