95歳のゲイ 偏見と差別の時代を生きた苦悩は「とても言えなかった。『同性愛』という言葉も世間に知られていなかった」
「男を好きなのは小さい時から分かっていたけど、その当時は同性愛ということは言えない。同性愛という言葉はないも同然だった」。そう語るのは、大阪市西成区、あいりん地区で一人、年金生活を送っている95歳の長谷忠さん。新聞から切り抜いた男性の写真が貼ってある部屋に暮らす長谷さんは、ゲイだ。1929年生まれで、初恋の相手は小学校の先生。「同性愛は病気」とされるほど偏見が強かった時代をずっと一人で生きてきたが、世の中の見方も変わった90歳目前にカミングアウト。その半生と日本社会の変遷を描いたものが映画「94歳のゲイ」として上映もされた。『ABEMA Prime』では、長谷さんとゲイの友人とともに、現在の同性愛者を取り巻く環境について考えた。 【映像】少女に扮して紙芝居を読む95歳の長谷さん
■同性愛は「精神病」「伝染病」と医学書にも記されていた
長谷さんは香川県出身。4人兄弟の長男として生まれた。当時、同性愛に対する根強い偏見が存在していた。1872年に国内初となる同性間(男性間)の性交渉禁止条例が施行され、また1915年には同性愛を医学的に論じる「変態性欲論」が刊行された。ここには「一種の精神病」「一種の伝染病」という記述があり、つまり「同性愛は病気」であるとされていた。物心ついた時から同性愛者だという自覚があった長谷さんは戦後、家族で大阪に移住した後、通信士や清掃員などの職に就きつつ、同性愛者であることは「とても言えなかった。『同性愛』という言葉も世間に知られていなかった」と周囲に隠し、詩や短歌、小説にその思いをつづってきた。
■紙芝居劇をきっかけにカミングアウト「それがなければどうなっていたかわからない」
口に出して言えない思いを文学に込めて長谷さんが生き続ける中、徐々に周囲の環境が変わっていった。1970年ごろゲイ雑誌が出版されるようになった。また1990年にはWHO(世界保健機関)が、同性愛を精神疾患から除外。偏見だった「病気」ではなくなった。2015年、渋谷区と世田谷区で同性愛者をパートナーと認め、パートナーシップ証明書の発行を含めた条例が施行されたのは、まだ記憶に新しいところだ。「今の人はもう、ほとんど公にできるようになった。LGBTという言葉は大きい。隠さないでもいいし(ゲイであることを)表すこともできる。言葉でも行動でも」と、病気扱いされていたころと比較し、大きく変わった社会に目を細めた。 同性愛を認める風潮が強まった中でも、長谷さんがカミングアウトしたのはつい最近の話だ。ずっと一人で生きていこうと決めていたところ、89歳の時に偶然見かけた大阪・西成区の紙芝居劇に感銘を受けた。自助サークルに自ら参加を決めると、衣装に着替え、メイクもし、大人数で紙芝居を読む楽しさと、周囲の仲間との交流に自然と心が開かれ、カミングアウトもできた。「全然、世間の見方が僕は変わった。人々が集まって、みんないい人ばかり。それがなかったら僕はどうなったかわからない」。ある劇では、三つ編み帽子をかぶり、口紅も塗り、5歳の少女役を演じたこともあるが、実に楽しげだ。