フロンティアスピリット(10月27日)
今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与された。奇しくも日本では50年ぶり、二度目の平和賞受賞のニュースは、少しの驚きと多くの称賛を持って迎えられた。しかし、そのどちらも世界が核の脅威に晒されている時代状況の現れであることを鑑みれば、手放しで喜ぶことはできない。脅威が格段に現実味を増している現在、千変万化と旧態依然が交錯する半世紀に思いを巡らせる。 今年郡山市の市制施行百周年を機に、日本の大規模ロックフェスの先駆けとして知られる「ワンステップ・フェスティバル」に再び光が当てられている。米国で開催された「ウッドストック・フェスティバル」の映画に衝撃を受けた郡山の青年実業家が私財を投じて奔走し、開成山公園で開催されたのは1974年8月のことだ。 今年発売された50周年記念盤にはリマスタリングされた熱い音が、映像には当時の郡山そして日本のエネルギーとカオスが刻まれている。私事ながらその夏郡山から転居したため、原体験の欠落というバイアスが余計にかかっていることは否めないが、そこに〝アメリカ〟を感じずにはいられない(〝禁句〟かもしれないが)。
現実の米国は「空白の10年」そして現在の分断の端緒ともいわれる時代にあったが、日本では高度経済成長末期で、同年には米国のコンビニエンスストアが初出店している。いわば資本主義と民主主義、その体現でもある大衆消費社会というアメリカニズムの浸透と発展の時代でもあった。 郡山では、新幹線開通に伴う駅および周辺整備と大型商業施設の進出ラッシュ、高速道路の開通や卸売団地の整備など、福島県の商都としてさらに発展を遂げる前夜であり、その頃の新しいまちへの胎動とうねりは、人種のるつぼの一人として憶えている。 郡山と言えば、発展の礎となった安積開拓そして脈々と受け継がれる開拓者精神こそが地域のアイデンティティだが、まさにそれは〈理想像としての〉〝アメリカ〟ではないだろうか。一地方都市に国内外から40組余りの〝ロックの開拓者〟が無償で集結した原動力は、主催者たちの開拓者精神であったことは疑いない。 半世紀で世界、日本そしてまちの様相も変わり、あの頃の〝若い〟熱気はない。しかし、まちは続く。風が強いまち〝ウィンディシティ〟郡山では今も公園の再整備、市街地や商業施設の再開発が進められている。県の要衝のまちづくりの成否は県全体に波及することを踏まえれば、政治の行く末が不透明な今こそ〝開拓者精神にあふれた〟市民、民間の力に期待したい。
カウボーイハットとジーンズがトレードマークだった郡山市が生んだ名優の在りし日の懐かしい映像を眺めながら、ふとその姿に夢追う開拓者の姿を重ねていたのかもしれない、と気付いた。合掌。 (福迫昌之 東日本国際大学副学長)