伊賀忍者も下緒として重用した? 忍びの里に受け継がれる「組紐」文化
あのまちでしか出会えない、あの逸品。そこには、知られざる物語があるはず!「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」。 今回は、三重県伊賀市の「伊賀組紐(くみひも)」。多数の絹糸を緻密に組み上げて作られる組紐は、和装の帯締めで知られるが、近年は腕時計のベルトやネクタイなど活用範囲を広げつつある。現在、組紐においては伊賀が国内最大の生産地で、国指定の伝統的工芸品ともなっている。組紐と伊賀とのかかわりの歴史をたどった。 【兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】 昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。 【(編者)歴史街道推進協議会】 「歴史を楽しむルート」として、日本の文化と歴史を体験し実感する旅筋「歴史街道」をつくり、内外に発信していくための団体として1991年に発足。
盆地の城下町に息づく歴史文化と伝統工芸
伊賀市の中心地である伊賀上野は、城下町の面影を色濃く残す地である。上野盆地北部の高台に位置する伊賀上野城跡から南に、昔ながらの町割をひろげる旧城下町には、武家屋敷の長屋門や町家の蔵が残り、今は忍者が住むわけではなさそうだが「忍町(しのびちょう)」という町名も伝えられている。 近年は、忍者の里として海外からも観光客が訪れ、城跡内に設けられた「伊賀流忍者博物館」などの関係施設が人気を集める。また、俳聖・松尾芭蕉の故郷でもあり、その生家なども観光の目玉となっている。そして、忘れてはならないのが、この地で育まれた伝統工芸の存在である。
工芸の文化を育んだ地域性とは?
伊賀上野の城下で培われた伝統工芸への見識をしのばせるのが、菅原神社(上野天満宮)の秋祭、上野天神祭である。 毎年10月25日の前の日曜日までの3日間に催される祭礼で、近世初期の城下町整備とともに始まったとみられ、万治3年(1660)に再興。城内にも巡行して藩主も観覧したと伝える。神輿(みこし)の神幸に供奉する鬼行列と九基のだんじり行列では、美麗な衣装や由緒ある面による仮装、祇園祭の山鉾(やまぼこ)を思わせる豪華な装飾を見ることができる。 この上野天神祭は国の重要無形民俗文化財に指定されるだけでなく、平成28年(2016)11月にはユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」全国33件の一つとして登録されている。 山々に囲まれて隔絶した感のある伊賀だが、古来の文化都市、京都や奈良と伊勢を結ぶ街道の収束地であったことが、こうした文化を育む背景にあった。 江戸時代に入り、藤堂氏が治める津藩の所領となるが、藤堂氏は徳川幕府の重鎮であり、江戸文化とのかかわりも浅くはなかった。東京の上野の地名は、ここに藤堂家の屋敷があり、伊賀上野に風景が似ているとして名付けたことに由来するという。 桃山時代から江戸時代初期に伊賀の作陶「伊賀焼」から茶陶の名品が生み出されたのも、陶土の産地という地の利とともに文化的背景があってのことといえよう。伊賀焼は18世紀以降、藤堂家の庇護のもとに日常雑器を中心に再興し、現在も多くの窯元が生産に携わっている。