愛子さまの「お相手候補」から人気俳優まで、識者が選ぶ「日本を動かす新名家」とは?
● 伝統芸能における現代の名家 裏千家と市川團十郎家 お公家さんがいなくなった京都では、東西の本願寺の大谷家が最高の名家として君臨していた。だが、内紛もあって、戦後隆盛したのは、裏千家。若い女性のお稽古事として茶道を普及させることに成功した。 14代千宗室(現玄室)は、夫人の登三子や姉の塩月弥栄子の助けを得ながら、世界への進出に成功。また、日本青年会議所会頭を務め、ロータリークラブなどでも活躍した。現在の16代千宗室の夫人は、三笠宮の次女の千容子さん(容子内親王)である。 芸能において、世襲に意味があるとは考えにくいが、歌舞伎の世界では、名跡が物を言う。オペラ歌手やバレリーナではあり得ない話だ。余談だが、かつて私は、歌舞伎は才能がなくてもプロになれる「第二芸能」(桑原武夫の俳句第二芸術論から連想)だと批判し、物議を醸したこともある。 歌舞伎が日本を代表する伝統芸能と言われたのは、明治時代に9代目市川團十郎、5代目尾上菊五郎が出た頃からだ。現在は、團十郎が13代目、菊五郎は7代目(来年5月に人気歌舞伎俳優の尾上菊之助が8代目に襲名予定)だが、2人とも、前期の2人とは血縁がない。 戦前の名優・7代目松本幸四郎はまんじゅう屋の子だったが、2代目藤間勘右衛門の養子になってこの世界に入り、歌舞伎と近代演劇の両方で名優とされた。 この7代目松本幸四郎の3人の子が、團十郎(11代目)、幸四郎(8代目)、尾上松緑(2代目)となり、孫の世代に12代目團十郎、2代目松本白鸚、2代目中村吉右衛門などを輩出している。
● 経済的にも豊かな徳川家と藤原家 皇族の養子候補として注目の東久邇家 公家や武家では、藤原五摂家と徳川一門は、経済的にも豊かで相変わらず隆々としている。 五摂家でも格が高い九条家は男系で、藤原鎌足から連続している。先代の九条道弘は平安神宮、当代の九条道成は明治神宮の宮司である。曽祖父の妹が大正天皇の貞明皇后である。 同じく近衛家は、後陽成天皇と近衛前久の娘の子が近衛信尋となり、文麿の外孫の忠煇(細川護熙元首相の弟)が継いでいる。忠煇の夫人の甯子は三笠宮崇仁親王の長女。 徳川は、将軍家(宗家)と御三家、御三卿だけが名乗れる。明治になって、田安家出身の家達を16代目として継がせたので、慶喜とその子孫の処遇のために、慶喜家も公爵にした。 ところが前述の通り、最近、慶喜家を絶家とすることが決まり、紀州家も見通しが立っていないようだ。宗家も17代の家正の後、外孫の恒孝を会津松平家分家から養子にし、その子が立憲民主党から選挙に出馬した家広で、19代目を継いだ。だが、ベトナム人の夫人との間に子がない。一方、男子の数が多いのが、御三卿の一つ田安家で、他家に養子を出したりしている。 皇位継承問題で旧宮家が注目されているが、男子の数が多いのは、久邇家、竹田家、東久邇家である。特に、竹田家と東久邇家は明治天皇の、さらに東久邇家は昭和天皇の子孫であるので、皇族の養子候補として注目されている。 ただ、これらの家は現皇室と血縁関係が濃すぎるので、愛子さまや佳子さまのお相手としては旧宮家の中では目立つ存在でない。だが、賀陽家は、愛子さまのお相手候補として注目されているようだ。 (評論家 八幡和郎)
八幡和郎