なぜ日韓戦で右膝を大ケガした宮市亮は一度は脳裏に浮かんだ引退を撤回して4度目手術を決断したのか?
その後は自ら歩きながらベンチへ戻ってきた宮市だったが、韓国に3-0で快勝し、4大会ぶり2度目の優勝を果たした試合後のセレモニーには姿を現さなかった。試合後の宮市の様子を、森保監督は公式会見でこう語っていた。 「いまはまだ病院に行っておらず、膝を固定して様子を見ている段階です」 この段階ですでに、ネット上は「どうか軽症でありますように」に代表されるファン・サポーターの投稿であふれ返っていた。そこへサッカー界の先輩たちや日本代表の同志、マリノスのチームメイトたちからのメッセージも加わった。 復活を待っている、一緒に頑張ろうといった激励の数々が心を震わせ、心中に生まれていた「引退」の二文字を撤回させたと、宮市はインスタグラムで綴っている。 「そのメッセージを重荷に感じたわけではなく、心から嬉しかった。多分自分は、やっぱりサッカーがやりたいんだなと、そのとき思い知らされました。サッカーが大好きだと。だからまた、這いあがっていこうと思います」 アゼルバイジャン代表との国際親善試合で、後半途中から静岡・エコパスタジアムのピッチに立ち、A代表デビューを果たしたのが19歳だった2012年5月。当時のアルベルト・ザッケローニ監督から大きな期待を寄せられた若きスピードスターは、5ヵ月後にポーランドで行われたブラジル代表戦でもキャップを獲得した。 しかし、その後のキャリアは次々と連鎖する怪我との戦いでもあった。 ブラジル戦の直後に損傷し、長期離脱する要因になった右足首靱帯を、2013年3月の復帰戦で再び痛めて最初の手術を受けた。2014年4月には左ハムストリングを損傷し、満足にプレーできない影響は2014-15シーズンにもおよんだ。 愛知・中京大中京高からJリーグを介さず、プレミアリーグの名門アーセナルへ移籍した宮市は、フェイエノールト、ボルトン・ワンダラーズ、ウィガン、トゥウェンテへ期限付き移籍した末に、2014-15シーズンをもって契約を解除された。 新天地となったブンデスリーガ2部のザンクトパウリでも怪我との戦いが続いた。加入からわずか1ヵ月後の2015年7月の練習試合で左膝前十字靱帯を断裂し、手術を受けた宮市は前述したように2017年6月には右膝前十字靱帯を断裂。3度目の手術を受ける前に抱いた思いを、E-1選手権前に臨んだオンライン取材でこう明かしている。 「このまま手術したら、もしかしたら引退しなければいけない、という話を(医者から)聞かされました。ちょうどザンクトパウリとの契約も切れるときで、このまま自分のキャリアが終わってしまうんじゃないか、とも考えた時期でした」