「死んだ後に角膜を提供しますか?」 医師が問いかける〝献眼〟 回答は免許証の裏側に
角膜の移植手術の様子(提供:広島大学病院近間泰一郎医師)
「献眼」という取り組みを知っているだろうか?自分が死んだときにその眼球を、目の病気で困っている人へ提供し、角膜移植に使ってもらうことだ。 こうした移植医療は、誰もが提供を受ける側にも、提供する側にも関わりうるかもしれないものだ。目の病気で苦労してきたひとりの男性は、亡くなった人から眼球の提供を受け移植手術をした。 移植後、顔にまいていた包帯を外した時、思わず声がでた。「こんなに見えるんだ。」 死者の眼球が、1人の人生を変えた。
目が不自由な暮らし20年以上 世界を変えた「角膜移植」
藤本喜久さん(57)は子供の頃、視力はいい方だった。しかし高校生になった頃から少しずつ物が見えづらくなったという。20歳前後になると、信号機がぼんやりと5つぐらいに見えるようになった。「円錐角膜症」と診断された。 角膜とは、黒目の部分を覆うコンタクトレンズのような透明な膜のことで、この角膜が濁ったり変形するなどして、物が見えにくくなる病気がある。「円錐角膜症」もその一種だ。診断されたのは、今からおよそ35年前のこと。 当時、病名はそこまで知られておらず、病院を転々とした。特殊なコンタクトレンズを付けて、何とか生活していたが、症状は悪くなるばかりだった。不自由な暮らしが20年以上続いた。しかしさらに悪化の一途を辿り、仕事や自動車の運転にも支障が出るようになった。 意を決し、45歳のとき、広島大学病院で角膜移植の手術を受けた。手術を受けた2~3日後、包帯が取れた。藤本さんは、そのとき見た景色に驚いたという。 「診察室の中を見渡して、あらゆるものを見たんです。小さな文字まで全部見える。感動しました。」
車の運転もできるようになり、生活が快適になった。藤本さんは、角膜を提供してくれた提供者=ドナーへ思いを寄せた。 「もう感謝しかないです。これだけ生活が一変するのかというぐらい快適になったのですから。僕みたいに困っている人は大勢いる。多くの人に知ってほしいと思う。」