レスリングの東京五輪代表内定第1号にグレコ60kg級で銀メダル以上確定の文田健一郎
「アジア選手権で負けたことで、一切、ビデオを見ないという自分の中のルーティーンを止めました。レスリングの試合は情報戦です。トップクラスになるほど、試合で出した技はビデオに撮られ、同じ大会の次の試合では対策されるのが当たり前です。自分も今回は、映像を撮ってもらい、それを参考にして勝負しました」 2試合目で対戦したリオ五輪銅のタスムラドフ(ウズベキスタン)は、その映像のおかげで、持ち上げた方角とは逆のローリングをかける得意技を察知できたため、しっかり防御できた。ジュニア世代の選手でまったくデータがなかった準決勝のネジャチ(イラン)についても、不用意に左手を首にかけると一本背負いがかかることを知っていたので、落ち着いて対処できた。 「2017年の世界選手権で優勝したときは、目の前の試合をひとつずつ、全力で取り組むことしかしていませんでした。でも、大会全体をトータルで考えて、しばらくこの技は隠しておこうという戦略を立てるようになりました。反り投げのことは世界にも知られていて警戒されていますが、ルールが変わり、忍先輩に勝つために磨いてきたローリングはまだ、あまり知られていない。だから、警戒されな いために小出しにしました」 優勝するために大会全体を見渡してデザインするようになったのは試合に対してだけではなかった。 7月のベラルーシ遠征では、世界選手権前の貴重な国際大会の場だというのに、体調を崩してまともに試合することすらできなかった。その反省を下に、体調管理の考え方を変えた。これまでは無頓着に食べたいものを食べていたが、食事の摂取に気を使い、減量を計画的に進めた。 まだ決勝戦を残しているが、東京五輪内定第一号になれた喜びは大きい。思うように成績が伴わず「あの舞台に立つのは特別な人」「自分はそういう星の下に生まれていないのかな」と塞ぎ込むことも一度や二度では無かった。だが、あきらめずに続け、とうとう東京五輪への切符を手に入れた。 「腐らないでよかったです」 これまでを語るうちに涙声で絞り出したその言葉は、文田だけでなく、日本のグレコローマン代表を支え続けた人たち皆の気持ちも表していただろう。 五輪のグレコローマンでの出場枠獲得には、このところ苦戦が続いており、第一次予選にあたる世界選手権で出場枠を取れたこと自体が、2008年北京五輪を控えた2007年以来だったのだ。昨年の世界選手権でも5位以内の成績をおさめた階級はひとつもなかったため「女子が始まる前に五輪内定がグレコで出てよかった」という関係者の声は偽らざる本音だろう。 まだ世界選手権は終わっていないけれど、と前置きした上で、五輪のほぼ一年前に出場内定をもらえたアドバンテージを、文田は存分に生かしたいという。 「これでやっと、僕ひとりを強化してもらえる。約一年間準備できるので、しっかり備えたいと思います」 まずその前に、昨年の世界チャンピオンであるエメリン(ロシア)との決勝戦が待っている。先輩で目標でライバルだった太田の声援を受けて、「もう一回、世界一を。一番高い表彰台から見る景色をもう一回」見てから、東京五輪で表彰台に上がるための準備に入ろうと考えている。 (文責・横森綾/フリーライター)