『モンキーマン』立ち上がる弱者の復讐劇にみるマンガ思考
映画に盛り込まれる宗教観
血と汗と涙もあるこの復讐映画は、信仰に基づいており、インド神話のひとつを現代風にアレンジし、まったく新しいスーパーヒーローを生み出した。 そう、本作にはヒンドゥー教の宗教観がベースとなっている。 古代インドの大長編叙事詩「ラーマヤーナ」、ヒンドゥー教の三大神のひとり、破壊と再生を司る「シヴァ」、その妻「パールヴァティ」などなど宗教要素、それを踏まえた人々考え方、行動体系が描かれているが、ヒンドゥー教への理解が深くなくても問題ない。 『ジョン・ウィック』然り、わかりやすいところで言えば『セブン』が7つの大罪をベースにしたように、ハリウッド映画の多くには、キリスト教的宗教観が盛り込まれている。 『十戒』『天地創造』など聖書の物語を映画化した"宗教映画"、『エクソシスト』『ダヴィンチ・コード』『セブン』などストーリーの重要な要素として宗教が使われている"宗教的モチーフ顕在型映画"、『ターミネーター2』『グリーンマイル』『マトリックス』といった表立ってはないが、背景に宗教的要素が隠されている"宗教的モチーフ潜在型映画" これらと同じである。キリスト教に詳しくないからといって、例で挙げた作品を楽しめなかったわけではない。知っていればより理解が深まるそれだけのこと。 "宗教的モチーフ顕在型映画"である『モンキーマン』は、ハリウッド的映画スキルを魅せながらも、この宗教観の差し替えが非常に巧みだ。 物語の転換での映し出される映像表現、登場人物たちのセリフ、モノローグに、宗教要素はあるのだが、これが自然と物語に溶け込み、なんなら伏線として繋がっていたりする。こういった映画表現のスパイスが観客を違和感なく没入させ、その物語にきっと魅了されることだろう。
マンガ的で社会風刺
主人公キッドが、なぜモンキーの仮面をかぶっているのか。それはインド神話における神猿ハヌマーンに由来する。知恵、強さ、勇気、献身、自由の象徴であるハヌマーンは西遊記の孫悟空のモデルになったとされている。 これを知っていると『モンキーマン』が少年ジャンプ的にも見えてくる。 孫悟空が主人公の「ドラゴンボール」はもちろんだが、「ONE PIECE」のモンキー・D・ルフィもハヌマーンが元ネタとも言われている。 デヴ・パデル監督自身、「現代のコミックが東洋哲学にインスピレーションを得ていることに驚いた」と発言していることからも、本作におけるコミックヒーロー像は意識的だったのかもしれない。 主人公に宿敵がいる。戦いに敗れ、強くなるために修行する。その過程で仲間が増えていく。そしてある日、悟りを開いたかのように覚醒する。こう書くと『モンキーマン』も非常にマンガ的でわかりやすい。 宗教観に加え登場人物の背景など順序立てた説明を省いている。しかし、この映画は明確ではないが、明瞭なストーリー展開なのだ。だからマンガを一気に読むような感覚で鑑賞できるのだ。 しかし、少年マンガ的要素だけでは終わらない。 『モンキーマン』は復讐を遂げるための物語。根源的に怒りがある。 それは宿敵に向けたものだけでなく、社会構造全体へ向けたもの。それは時折挟み込まれるニュース映像で明らかだ。 インドにおける貧困差別問題、売春、ドラッグ、公職による不正といった都市部の腐敗。 BRICSと評され世界が注目し成長著しいインド。舞台は架空の都市としているものの、これからどんどん豊かな国になるんだろうなというイメージは、まやかしのインドだという風刺が随所に盛り込まれている。 劇中の虐げられている女性をはじめとした弱者たちは「助けて」とは言わない、言えないのだ。声にならない声が、その表情を見るだけで十分伝わってくる。しかし弱者たちも声を上げて戦わなければならない。過去を壊さないと成長はないのだ。 デヴ・パテルを世界的に有名にした『スラムドッグ$ミリオネア』。この作品もスラム育ちの青年が身の潔白を主張する姿を通じてインド社会の現実を描いたものだった。ムンバイ同時多発テロの際、人質となった宿泊客を救おうとしたホテルマンたちの姿を描いた『ホテル・ムンバイ』で出演兼製作総指揮を経て、今作がロンドン生まれの褐色の俳優の初監督作品となった。歌や踊りはないが『モンキーマン』は紛れもなくインド映画だ。 デヴ・パテルは「弱者のための賛歌を作りたかったんだ」と言う。 だから、神が許してもモンキーマンは許さない。 このどうしようもない世の中に誕生した怒れるヒーローを、そのエネルギーに満ちた熱狂を、スクリーンで感じてほしい。
文 / 小倉靖史