<競馬>「かっこ悪い」乗り方 その背景にある心の叫び
■競馬はギャンブル 力を振り絞りたい だが、競馬にはギャンブルの側面もある。わずか鼻差が明暗を分ける勝負の世界。岩田や内田博のような迫力のある追い方は、直線の叩き合いで頼りになる。例え負けたとしても、力を振り絞った彼らの姿に「あれだけ追って負けたのなら仕方がない」と納得する関係者やファンは多い。その風潮を察し、JRA生え抜きの騎手は、それまでのスマートな騎乗を脱していった。 競馬学校で基本をたたき込まれた彼らは、世界的に見ても騎乗技術のレベルは高いという。上を見ればきりがないが、逆に下手くそも少ないのが日本の騎手の特徴だ。良く言えば「基本に忠実」であり、悪く言えば「右へ習え」で個性がない。横一線の状況から一歩抜きん出たい彼らにとって、型破りな地方仕込みのスタイルは刺激的。向上心のある若手はもちろん、ベテランも自分の型を崩してまでフォーム改造に取り組み、競馬学校では習わなかった追い方を皆が試行錯誤して必死にチャレンジしている。 ■ビッグレースに乗れる騎手はひと握り この風潮の背景には、ビジネス化が進む競馬界の厳しい現実がある。地方出身騎手の台頭もさることながら、最近は短期免許を取得して来日する外国人騎手も増えた。また、エージェントと呼ばれる騎乗依頼仲介者の影響力も大きく、ビッグレースに乗れる騎手はほんのひと握り。若手は何かキラリと光るものを見せなければ声が掛からないし、名のあるベテランとて、うかうかできない状況だ。 振り返れば、昭和の時代は「旦那さん」と呼ばれる懐の広い馬主がたくさんいた。お金や名誉は二の次。損を承知で、辛抱強く若手の成長を見守り、数多くの名ジョッキーを育て上げた。調教師も、馬主に頭を下げて弟子を乗せてもらった。中には「ウチの弟子を乗せないのなら転厩して下さい」と喧嘩をしてまで乗せ続けた人もいたと聞く。師匠の熱い思いに応えるべく、弟子も努力を重ねて腕を磨いた。その熱気がファンに伝わり、数多くのドラマが生まれた。 しかし、バブル崩壊後、旦那さんは稀少な存在となり、競馬界は一口馬主に代表されるような小金持ちに頼らざるを得なくなった。「夢は見たいが、損はしたくない」。利己主義がエスカレートし、持ち馬が思い通りにならなければ、調教師に対して物を言う馬主が増えた。