驚くほど無策な新聞業界と、報道を捨てたテレビ情報番組に思う…新聞・テレビが「マスメディア」でなくなる日
■ ラジオは「マスメディア」でなくなり、新聞も… いま、ラジオを「マスメディア」と認識する人は多くはないはずだ。実際、平日の行為時間が若年世代ではゼロに近づいている。デジタル化でラジオが変わったというナラティブは存在するが、基本的に売上が堅調に伸びているようなラジオ局はほとんどない。 podcastやvoicyのようなサービスが日本でも普及し、収益化も進んでいるが、かといって伝統的なマスメディアの規模を支えられる存在とはいえない。 ラジオ業界の広告費は2010年代半ばピークに減少傾向に歯止めが利かない状況である。取材も限定的になり、制作費も減少し、良くも悪くももっぱらパーソナリティのトークや個性を目当てに視聴する媒体となっている。 もはや、ラジオをマスメディアだと認識する人は業界や専門家を除くと、それほど多くはないだろう。 新聞もそうだ。日本新聞協会の調べによれば、2023年にはじめて新聞の1世帯あたり部数が0.5を割り込み0.49となった。 ◎日本新聞協会「新聞の発行部数と世帯数の推移」 この数字の意味するところは大きい。1世帯あたり部数がはじめて1を割ったのは、2008年のこと。換言すれば、それまでは平均すると1世帯あたり1部を超えていたということを意味するから、新聞はとんでもなく大きな力を持っていたといえる。 その頃、筆者はといえば満員電車で虎ノ門の職場まで都内でも屈指の混雑路線で1時間半近い通勤時間をかけて通勤していたが、満員電車の社内にはまだ新聞を器用に三つ折りにして新聞を読む客が多数いた。 要はさしあたり新聞に目を通しておくのが社会人としてのマナーだったが、現在ではめっきり見かけなくなった。
■ 驚くほど無策のままに過ぎ去った2010年代 1世帯あたり部数が1を割ってからも長く0.9~0.8程度で推移していたわけだから新聞購読世帯は多数派だった。新聞は確かにマスメディアといえたはずだ。 再び落ち込み始めるのは、2010年代半ば以後のことである。1世帯当たり部数が0.5を下回るということは新聞購読世帯が少数派に転じたということを意味する。現代において、なぜ新聞はマスメディアといえるのだろうか? 世界と全国に独自の支局網を持つ全国紙についていえば、かろうじて世界と全国の確度の高い「ニュース」を地方に、地方の「ニュース」を全国に届けるという意味においてマスメディアと呼べるのかもしれない。 しかし新聞発行部数の減少と売上減のなかで、支局数や記者数も減少を続けている。支局数の減少程度は社によって相当異なるが、日本新聞協会の調べでは新聞業界全体の記者数は10年前と比べて75%程度まで減少している。 ◎日本新聞協会「新聞・通信社従業員数と記者数の推移」 「働き方改革」も追い打ちをかける。伝統的な夜討ち朝駆けスタイルを維持できている社も減少しているというし、突発の災害報道においてさえ若手を現地に取り敢えず投入するといった「伝統的」な取材も年々難しくなっているという。 民業というのは残酷だ。働き方改革は間違いなく必要だし、記者の人権擁護も言うまでもなく必要だ。 しかしそのこととは別に、明らかにコストは高くなり稼働できる人員、影響力が減じているが、そうなればなるほどネットワーク効果はマイナスに働き、ますます購入する動機づけが乏しくなってしまう。 新聞社は名実ともにマスメディアであった2010年代に手を打つべきだったが、英『Financial Times』を買収し、デジタル化を推し進めるなど試行錯誤を続けている日本経済新聞を除くと2010年代は業界全体が驚くほど無策のままに過ぎ去ってしまった。