【日本人学校10歳男児刺殺事件】「父親の手紙」の裏側 「お父さんはお別れの会で涙をこらえて」
「家の中から奥さんの中国語が聞こえてくることも」
被害男児と同じ日本人学校に子供を通わせている水野さん(仮名)が言う。 「当初、妻は鳳凰網というメディアに掲載された手紙を読み、号泣していました。しかしその後、日本人があれほど流ちょうな中国語で、中国に対して思いやりのある内容を書けるだろうか、と夫婦で話し合っていました」 中国事情に詳しいジャーナリストの高口康太氏の話。 「あの手紙は元々、日本語で書かれていて、中国人のスタッフに訳させたのではないでしょうか。その中国人のスタッフが“被害者の父親がこんなふうに言っているぞ”と情報を共有するためにネット上に流出させたのだと推測しています」 手紙の宛先になっている日本人二人の名前をネットで検索すると、ある貿易会社がヒットする。東京にいるその会社の代表取締役は、 「深センの事件の話でしたら、プライバシーにかかわることですので、お話しできることはありません」 と言うのみだった。 被害児童の父親のものと思しきFacebookには、出身地として〈兵庫県尼崎市〉とあり、学歴の欄には〈兵庫県立尼崎小田高等学校〉〈上海師範大学〉〈龍谷大学〉〈上海大学〉。彼の妻のものらしきFacebookにも〈上海師範大学〉とあり、在籍期間が重なっているからその時期に知り合ったのかもしれない。妻のFacebookには〈兵庫県尼崎市在住〉との記述も。被害児童の一家は、3年前に尼崎市内の一軒家を購入し、今年4月に深センに引っ越すまでそこで暮らしていた。 「お父さんは仕事が忙しくてあまり家にいなかった様子ですが、〇〇くんは元気な子で、家の前で遊んでいるのを見たことがあります。家の中から奥さんの中国語が聞こえてくることもありました」(近隣住民)
「父親は涙をこらえて……」
深セン行きを躊躇っていたという被害児童が乗っていたものだろうか。家の前には小さいサイズの自転車が置かれていた。 「9月23日、亡くなった児童のお別れ会があり、日本人学校の児童および保護者、合わせて100人くらいが参加しました」 と、日本人学校に子供を通わせている別の保護者。 「亡くなった児童の母親と母方の祖母が声を出して泣いている一方、父親は涙をこらえてわが子を送り出していました。ひつぎの中のご遺体は安らかな顔をしていましたが、どれだけ痛かったのかと思うと……」 この保護者は「安心安全が担保されていない」として、日本に帰る方向で話を進めているという。 前編【「服の色が分からないくらい血まみれに…」「肝臓や腸が飛び出した状態」 「日本人学校10歳男児刺殺事件」救命を手伝ったママ友の証言】では、凄惨な事件現場の模様について報じている。
「週刊新潮」2024年10月3日号 掲載
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