『チャーリーとチョコレート工場』ロアルド・ダールの世界観から沁み出したティム・バートンの作家性
バートンが抱えていた71年版への違和感
一方で、少年時代に原作の虜になったというティム・バートンは、この71年版の映画をどう受け止めたのだろう。「映画作家が自身を語る ティム・バートン」という書籍を紐解くと、多くの人々が71年版『チョコレート工場の秘密』を高く評価する中で、バートンは一人、この映画への違和感を抱いていた様子が窺える。 理由の一つは、ストーリーが原作通りではないこと。もう一つはウォンカがラストで常識人というか、いい人になってしまうことーー。いずれもダールが不満を表面したポイントと似通っているのが面白い。すなわち、ダールとバートンには、それだけ感性が重なり合う点があったということかもしれない。 兎にも角にも、71年版の製作から20年以上が経ち、ワーナーブラザーズが再びこの原作のリメイクを企画し始めてからというもの、なかなか構想が固まらず”どん詰まり”の状況に陥ってしまうのだが、幾人もの監督や脚本家たちが浮上しては消えていく中、ティム・バートンの参加が全ての流れを変えた。 彼は過去にダール原作の映画『ジャイアント・ピーチ』(96)の製作を通じて、ロアルド・ダール財団(ダールの死後、彼の著作の版権などを管理)の信頼を勝ち取っていたし、ワーナーにとっても『バットマン』シリーズなどで実績あるヒットメイカーだ。スタジオと財団を共に満足させる資質と力量、そして原作への敬意や愛情を持ち合わせている面において、バートン以上の適任者はいなかったと言っていい。
原作を超えて染み出すバートンの作家性
結果的に、ティム・バートン版の『チョコレート工場』は、ダールへの敬意があふれ、原作の流れを正しく踏襲したストーリーとして制作が進められた。また、ウォンカ役を演じるジョニー・デップも、かなりテンションが高くぶっ飛んでいて、最後まで独特のエキセントリックな魅力を崩さないキャラクターとなった。 しかし、もっと面白いのは、これほどダールの原作に忠実であるのを前提にしながらも、いざ完成した作品にはダール色を凌駕するかのようにティム・バートンの作家性が随所に色濃く吹き出していることだ。 バートンらしい場面はたくさんある。まずはオープニング、お馴染みのダニー・エルフマンのメインテーマが鳴り響く中、従業員のいない工場内でチョコレートが次々と自動製造されていく様子が描かれる。なるほど、人の気配のない仰々しいまでの巨大な建築物・・・『シザーハンズ』(90)や『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(93)や『バットマン』(89)などで目にしたバートンならではのモチーフを感じさせ、ファンにとってはニヤリとしてしまう場面だ。 また、ウィリー・ウォンカという人物に関しても、人付き合いが苦手で、エキセントリックで、なおかつアウトサイダー的マインドを持つなど、バートン作品の数々の名高い主人公たちそのまま。 さらに最も顕著な例は、原作にないウォンカの少年時代が描かれているところだろう。父親(クリストファー・リー)は歯科医で、虫歯の原因となる甘いお菓子を心底嫌っている。その上、ウォンカは矯正器具を付けていて・・・これらへの反動からウォンカは父と距離を置き、大好きなものを突き詰めて研究した末にチョコレート工場を設立したという流れが点描されるのである。 バートンはこのウォンカという人物に関して「お菓子の世界の市民ケーンかハワード・ヒューズみたいなものだと考えている」(「映画作家が自身を語る ティム・バートン」より)と語っているが、これらの異質の才能を持った者たちが各々に興味深い生い立ちを有していたように、ウォンカに関しても一体どんな人生を辿って今ここに至るのかという、過去のフラッシュバック描写があって然るべきと考えたのだろう。