「サイゼリヤ」1号店、3年後に再開発で取り壊し 2000年閉店当時のまま記念館として保存、地元有志「とても残念」
国内外1500店を超える人気イタリアンレストラン「サイゼリヤ」の1号店(千葉県市川市)が、周辺の再開発事業に伴い3年後取り壊しになることが分かりました。 【動画】2000年に閉店したまま保存されたサイゼリヤ1号店の店内 1号店は1967年に個人洋食店から始まり、一度火災が起きて全焼。休業を経て、73年にイタリアンレストランとして再出発しました。その後、2000年に閉店し、今はサイゼリヤ創業者の正垣泰彦会長から店の経営を学んできた地元有志らがサイゼリヤの歴史を伝える教育記念館として当時のまま残し、経営理念を学んだり観光客らが足を運んだりしています。 1号店が取り壊されてしまうことについて、サイゼリヤ記念館保存会のメンバー大山達雄さんは「10年くらい前からなくなるらしいとは聞いていました。とても残念。自分の一生の中でサイゼリヤはよく通ったからという感情的な部分はあるが、時代の流れで再開発が始まるのも仕方がないかなと思っています。廃館までに一時開放を増やしていく予定です」と話します。 JR本八幡駅近くの商店街にある1号店。地元市川の企業「昭栄美術」の創業者で会長の小林利昭さんが保存会会長兼サイゼリヤ記念館館長に就任し、正垣会長から経営理念を学んだ地元の社長らが費用を負担しながら運営・管理をしています。内装、厨房などは手を加えず閉店当時のままで、トイレだけウォシュレットを付けたとか。サイゼリヤがどのように発展してきたかを年表や写真、当時の手書きメニューや経営に関するその他の資料などを集め整理して展示しています。
1号店の保存に反対していたサイゼリヤ創業者、なぜ?
地元企業「大山機械工業所」の社長でもある大山さん。正垣会長との出会いは、1987年に経営者らでつくる千葉県中小企業家同友会の市川浦安支部に入会したことがきっかけ。勉強会で正垣会長から経営理論などを学んできたといいます。 「正垣さんと知り合って経営者セミナーの勉強会が始まり、月2回会うようになりました。そこで『うちは一気に外に出て行くぞ』とおっしゃっていたことが、現実になって。サイゼリヤは、次々と店舗を増やしていきました。新しい店舗ができるとセミナー仲間で全国各地にお祝いに駆け付けたり。そのうち週に3店舗もオープンすることがあって、なかなか追い付かなくなり、お祝いに駆け付けられたのも1990年代前半くらいまででした。サイゼリヤの幹部も集まり、私が独自でコーディネイトしたフルコースを食べたりしました。今では良い思い出です」 またプライベートでサイゼリヤに初めて足を運んだのは1977年のこと。これから取り壊されてしまうという1号店でした。 「結婚前、嫁さんから『おいしいサラダが食べられるところがある』と言われて連れて行かれたのが1号店。ピラフと肉サラダを食べました。おいしくておいしくて。それからここでよく食べるようになったんです。1977年というとまだサイゼリヤが3店舗の頃。その後、子どもができたら子どもも連れで行ったり。1号店以外の店舗でも食事をしたりと、サイゼリヤは家族のなじみのレストランでもありました」 そんな思い出深い1号店…大山さんを含め保存したいという声が上がる中、正垣会長自身は反対していたとか。 「どんどん発展していく会社は1号店なんて残っているわけない。時代とともに形が変わってくるものだ。システムが変わっていくものだから、1号店でやったことは1000号店では通用しない。いつのまにか消えて、ここにあったねと、成長発展する会社の当たり前の在り方。だから残すな」 しかし、正垣会長からサイゼリヤの経営を学んできた地元有志らは1号店を「何とか残したい」と強く思い、最終的には正垣会長の協力を得ながら1号店の保存会を結成、教育記念館として再スタートしたといいます。 2000年に閉店してから24年経ち、今も多くの人から愛されてきた1号店。3年後の取り壊しに向けて、大山さんは「代替の記念館のようなものを作ればいいという声もありますが、これからどうするかは話し合っていきます。また取り壊しまで不定期にはなりますが一般開放も行いながら、サイゼリヤファンの方々にぜひ足を運んでいただければ幸いです」と話しています。 ◇ ◇