パレスチナという土地はあるが国はない。単なる「宗教対立」では語れないパレスチナ問題の発端
ユダヤ人がヨーロッパから移住したのは「民族主義」の迫害から逃れるため
それでは、なぜヨーロッパのユダヤ人たちは、この時期にパレスチナへの移住を考えるようになったのだろうか。それは、ヨーロッパで19世紀末になってユダヤ人に対する迫害が激しくなったからである。では、どうしてであろうか。 答えは、この時期にヨーロッパに民族主義が広まったからである。この民族主義がユダヤ人の迫害を引き起こした。この民族主義というのは、一体何だろうか。 民族主義とは、次のような考え方である。 (1)人類というのは民族という単位に分類できる (2)それぞれの民族が独自の国家を持つべきである。これを民族自決の法則と呼ぶ (3)個人は、属する民族の発展のために貢献すべきである こうした考えによれば、個人の最高の生き方は、自らの民族の国家のために尽くすことであり、自らの民族が国家を持っていない場合は、その建設のために働くことである。 そして、この考え方に取り付かれた人々は、民族のため、国家のために大きな犠牲をいとわない。ときには命さえもささげる。お国のために死ぬという行為が、民族主義では最高の栄誉とされる。 それでは、民族とは何だろうか。 これは共通の祖先を持ち、運命を共有していると考える人々の集団である。 ドイツ人、フランス人、ロシア人、イタリア人、スペイン人などが、この民族という単位に当たる。 これは客観的な基準によって成立するのではなく、あくまで集団の構成員の思い込みで決まる。同じ言葉を話したり、同じ宗教を信じていれば、この思い込みは容易になる。こうした民族主義が高まってくると、多数派のキリスト教徒は、少数派のユダヤ教徒を排除する傾向が強まった。ユダヤ人を同じ民族として受け入れようとはしなかった。つまり、宗教が違うからである。こうした流れの中でユダヤ人に対する迫害が高まったのだ。 ユダヤ人が、民族国家のメンバーとして認められないならば、のけ者にされた自分たちだけの国を創ろう。そうすれば、そこではユダヤ教徒という宗教の違いゆえの差別は存在しなくなる。これがシオニズムを生み出した考え方である。