パレスチナという土地はあるが国はない。単なる「宗教対立」では語れないパレスチナ問題の発端
イスラエルとハマスの衝突の根幹にあるパレスチナ問題。これは「イスラム教徒とユダヤ教徒の宗教対立」ではありません。中東情勢の複雑な過去、背景をわかりやすく解説する話題の書籍『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』より、一部を抜粋してお届けします。
パレスチナ問題の発端は、パレスチナに既に生活していた「パレスチナ人」とヨーロッパから移住した「ユダヤ人」との紛争
パレスチナという土地はあるが、パレスチナという国はない。そこにあるのは、イスラエルという国とガザ地区と、ヨルダン川西岸地区である。なぜ地名はあるのに、その地名の国がないのか、本章ではそのいきさつを語ろう。 「2000年にわたるイスラム教徒とユダヤ教徒の宗教対立」、そうした言葉で語られることの多いパレスチナ問題。しかし、この説明は間違いである。なぜならば、イスラム教が成立したのは600年代である。つまり、7世紀であり、その歴史はおよそ1400年ほどである。であるならば、2000年もユダヤ教とイスラム教は争っているはずがない。 付け加えると、問題になっている土地のパレスチナには、キリスト教徒も数多く生活しており、「イスラム教徒とユダヤ教徒の対立」と単純化してしまうのは、キリスト教徒に失礼である。そもそもキリスト教は、この地に発し、その教えを守り続けた人々が現在も生活している。あまりに単純でわかりやすい話は、しばし危険である。 それでは、問題はいつ頃に起こり、何が問題なのであろうか。そして誰と誰が、何を争っているのだろうか。 パレスチナの地で、現在にまで続く問題が起こり始めたのは、19世紀末である。ヨーロッパのユダヤ人たちが、パレスチナに移り始めた。自分たちの国を創るためにである。 ユダヤ人たちの、自分たちの国を創ろうという運動をシオニズムと呼ぶ。これはシオン山の“シオン”と“イズム”を合わせた言葉である。イズムとは、主義という意味の言葉である。主義というのは、この場合にはある政治的考えのための努力である。シオン山とは、パレスチナの中心都市のエルサレムの別名である。エルサレムは、標高835メートルほどの丘の上に建てられている。新東京タワー、つまりスカイツリーが635メートルの高さであるから、それより高い所に位置する都市である。 ヨーロッパのユダヤ人がパレスチナに入ってくると、その土地に既に生活していたパレスチナ人との間に紛争が始まった。これが現在まで続く、パレスチナ問題の発端である。これは、つまり約120年間の紛争である。