戸田和幸氏「トルシエ監督から特に指示をされた記憶はない」
トルシエ・ジャパンでボランチを務めた元日本代表の戸田和幸氏。2002年のワールドカップ日韓大会では、持ち前のハードな守備で日本代表初の決勝トーナメント進出を支えた。トルシエ監督時代のエピソードについて聞いた。
「(トルシエ監督から)特に指示をされた記憶はない」 厳しい規律を基にしたチームづくりのイメージがあるトルシエ氏だが、戸田氏はこう述懐する。「トルシエさんのサッカーはすごくシステマテックで自由がない、という言われ方をされていたが、相手に向かっていくところ、攻守の切り替えの早さ、全体でまとまってプレスをかけるというところで言えば、今大会のいろんな国がやっているサッカーと変わらないと思う。その上で、僕らが何を出せるかだった」。 戸田氏は、サッカーにはシステムがあって戦術があり、その枠組みの中でそれぞれがチームに貢献できる最大限の努力をするものだという。「トルシエさんの枠組みの作り方は非常にうまかった。選手に競争心を植えつけるのも上手だった。じゃなければ、なかなか結果は出ない。そういう意味ではいいチームでやらせてもらったなと思う」。チーム内の誰をも特別視することはなく、中田英寿氏であろうと何かあれば面と向かって指導していたという。 トルシエ・ジャパンを経験した戸田氏にとって、南ア大会の代表には共通点を感じるようだ。「南ア大会の代表は勝つという目的に対してまとまっていた。それは僕らのときと一緒だと思う。守備的だとかいろいろ言われていたが、自分たちが劣勢になると思えば守るしかない。守るだけでは勝てなくて攻めなくてはいけない。相手があってのこと。あれはあれで理にかなっていた」。そして、今大会の代表にも言及した。「それが違うというのなら、さらに明確にしたものを出してやり切っていかないといけない。でも、その答えは見せられなかった」。