伊藤忠はなぜ企業理念を「三方よし」に変えたのか。全社員が知らない理念は意味がない
世界的な原料高騰が続く中、追い風を受ける日本の商社業界。中でも伊藤忠商事は財閥系以外の総合商社として時価総額を大きく伸ばしている。なぜ、伊藤忠は圧倒的な成長を遂げているのか。その答えの一つは、創業以来受け継がれてきた「商人」としての心構えにある。 【全画像をみる】伊藤忠はなぜ企業理念を「三方よし」に変えたのか。全社員が知らない理念は意味がない 本連載では、岡藤正広CEOをはじめ経営陣に受け継がれる「商人の言葉」を紐解きながら、伊藤忠商事がいかにして「商人」としての精神を現代に蘇らせ、新たな価値を生み出しているのかを深掘りしていく。 第11回は、伊藤忠が大事にする「近江商人の言葉」について。
「三方(さんぼう)よし」
この言葉は伊藤忠の商売心得のルーツ、近江商人の言葉だ。 なかでも知られているのが三方よし。三方よしは売り手、買い手、世間の三方にとってよい取引をしろという意味だとされている。 斯界の権威、滋賀大学名誉教授の宇佐美英機はこう解説する。 「三方よしの起源は諸説ありますが、その一つとされている中村治兵衛家の家訓の中には、『売り手によし、買い手によし、世間によし』の表現は見当たりません。『売り手によし、買い手によし、世間によし』にあたる記述が登場するのは、あくまで初代伊藤忠兵衛の言葉が最初なのです。 (略)近江商人独自の商売のスタイルを長年続ける過程で到達した精神が『三方よし』の源流にあり、それを最初に明確に言語化したのが、初代伊藤忠兵衛です。日本で『三方よし』を『創業の精神』とまで言い切れるのは、初代伊藤忠兵衛を創業者に持つ伊藤忠商事と丸紅だけではないでしょうか。」(伊藤忠統合レポート2020) 確かに「三方よし」には諸説がある。原典のうちのひとつとされるのが近江国神崎郡石場寺村(現在の滋賀県五個荘町石馬寺)の麻布商、中村治兵衛(法名宗岸)が残した遺言状「宗次郎幼主書置」だ。 書置の11条には「自分のことばかりでなくお客のためを思え」といった三方よしに連なる言葉がある。 「たとえ他国へ行商に出かけても、自分が持参した商品を、その国の人々が皆気分よく着用してもらえるように心掛け、自分のことばかりを思うのではなく、まずお客のためを思って、一挙に高利を望まず、何事も天道の恵み次第であると謙虚に身を処し、ひたすら行商先の人々のことを大切に思って、商売をしなければならない」(『商家の家訓』吉田實男、2010年、清文社) ここで強調しているのは、三方よしというよりも、客を思えということだ。 「その国の人々が皆気分よく着用してもらえるよう」という言葉は、「その国の人々」すべてを客と考えろとも受け取れる。つまり、他国へ行ったら自分以外はすべて客だ。 客と思って行動せよ、居住まいを正せということではないか。三方よしの起源をさかのぼると「客はすなわち世間だ」としている。