「誰に何を相談したらいいか」18歳でヤングケアラーになった元日テレアナに必要だった「受援力」とは
ある日、突然ヤングケアラーになった
「そんな運命が待っているなんて母も私たち家族も誰も思っていなかったので、ご飯をどうやって作っていたかも覚えていません。本当に必死でした。インターネットもないので情報は何もなかったんです」 【18歳、高校3年で…】町さんがヤングケアラーになった頃は現在とはまったく環境が違っていた… そう語るのは、元日本テレビアナウンサーで現在フリーの町亞聖さん(53)。町さんは18歳のときに、母がくも膜下出血で倒れたことから、一家の「母親」として家事全般をしなければならなくなった。ある日突然にヤングケアラーになってしまったのだ。 ’21年3月に文部省と厚労省が公表した調査結果で、中学生2年生の17人に1人、高校2年生の24人に1人が「家族の誰かの世話をしている」ヤングケアラーであることが明らかになり問題となった。 町さんは障がい者となって自宅に戻ってきた母親の介護や、のちに母親ががんになって看取るまでの経験を、’13年に刊行された『十年介護』(小学館文庫)の中で記している。そして、町さんが今年の10月に上梓した『受援力 “介護が日常時代”のいますべてのケアラーに届けたい本当に必要なもの』(法研)は「実用書」の側面も持った本だ。 「介護」は他人事ではない超高齢社会で、「そのとき」が訪れたときにわれわれはどうすればいいのか。『受援力』では、介護保険もなく、障がい者に対する周囲の理解も現在よりもまったくなかった’90年代当時の町さんの経験をふり返りながら、どこにどう“援け”を求めればいいのか思い悩んだときに頼りになる制度や、相談に乗ってくれる窓口や団体などが綴られている。 町さんの場合は母親が倒れたその日に父親から「お前が今日から母親だ」と告げられる。突然「母」になることを強いられた町さんにとって、家事のやり方も家計のやりくりも、わからないことだらけだった。 ◆まったく先が見えないという不安 「一応、山田のおばちゃん(近所に住んでいた母の友人)や、母の姉も心配してお見舞いに来てくれましたが、母の代わりに家のことをやってもらうわけにはいかない。父は病院で母につきっきりだし、弟は中学生、妹はまだ小学生だったので、私がやるしかなくて。 もう必死でした。やらなきゃいけないことは毎日たくさんあって、母の病院にも行かなきゃいけないですし。医療費の支払いとか、家計のやりくりもやらなきゃいけない。だから、本当に誰かに助けてほしかったんです。でも、学校の先生に言っても仕方ないって思っていたから、先生に相談する選択肢は初めからありませんでした」 とはいえ、役所の窓口がやってくれるのは公的な制度の手続きだけだ。それも向こうから「こういう制度がありますよ」と教えに来てくれるわけではない。町さんの母が入院した病院には、たまたま医療ソーシャルワーカーの人がいた。その人が声をかけてくれたおかげで、高額医療費制度や障がい者になったときの医療費助成制度などを知ることができた。おかげで家計が医療費で経済的に破綻することは免れたそうだ。しかし、病院の会計窓口では一切そんなことは教えてくれなかったという。 家計が破綻することは免れたものの、町さんの日々の家事の重圧は変わらなかった。 「当時はご飯を作るのも大変でしたし、もういつまでやっても洗濯が終わらなくて。母はパートをやりながらこれをずっとやっていたと思うと、本当にありがたみを実感しました。 受験どころではなかったので3月に高校を卒業してからは浪人することになりました。友達は大学に行ったり就職したりと新しいステージに向かって歩いているのに、自分だけはまったく先が見えないままでした。でも弟と妹の前で長女の私が泣いているわけにもいかないし、父は何もしてくれないしで、母が入院していた一年間は本当に背水の陣でした。神様がきっとどこかで見ていてくれるだろうと思うしかなかった感じでしたね」 母が車いすとなって家に戻ってきた後も町さんが一人ですべてを背負うことになった。当時は介護サービスもなく、ご近所にも助けを求めづらかった。それには父親の性格も関係していたという。 「孤立してましたよね、うちは。父が虚勢を張って人を頼ろうとしないタイプだった。父が助けてと周りに言わないから、子供の私が誰に何を助けてと言っていいのか、わからなかったんです。隣のお家の方などは気にしてはくれましたが、家のことや子供のことを頼んだりするような関係を父が作ってなかった。 母も言語障害があったのでヘルプを周りに出せないんですよ。結局、私たち家族だけでやるしかないという状態でした。今みたいに介護サービスがあったらデイサービスを利用して、私たちも息抜きできたし母の世界も広げられたかなと思うんですよね」 ◆学校の先生だけでは家庭の問題は解決できない 家に帰ってきた母が片手で家事を手伝ってくれるようになったことで、町さんの負担も少し軽くなったそうだ。料理の腕も徐々に上がって、できることが増えていった中で、父親の酒癖が町さんを悩ませることになった。お酒を飲んだ父はしばしば町さんに言いがかりをつけて家から追い出すこともあったという。 「父自身がお酒をコントロールしてくれればいいんですけど、子供に止めるのは難しかった。だから、親が精神疾患だったり、父みたいにアルコール依存や暴力の傾向があるなどの問題を抱えているヤングケアラーは、言語化することや大人に相談することも難しいですよね。親の悪口を言うことになるから。 一番は親がちゃんと困ったときに支援を求める『受援力』を発揮することです。そして子供が自分自身で説明できないとダメで、そこから支援ができる大人にどう繋ぐかなんです。学校の先生が家庭の問題に介入するのは難しく、私の父も先生から何か言われても聞かなかったと思います。 ではどうしたらいいのか。学校の先生が地域にいる福祉や医療などの専門職や当事者団体など相談できる人たちと顔の見える関係を作る必要があります。子供のケアは学校の先生がやるべきですが、親のケアまで先生がやるのははっきり言って不可能です」 ◆助けてくれる大人はたくさんいる 子供から家庭のことを聞き取って、地域の中でケアができる人と繋げるという取り組みは、現在各地で進められているという。家庭のケアは専門家の仕事だが、学校の先生には子供が夢を諦めないようにサポートするという重要な仕事がある。進路について大人に相談できずに未来を諦めてしまうヤングケアラーは多いといい、社会問題になってもいるのだ。 町さんは1995年に日本テレビにアナウンサーとして入社、のちに報道局で医療や介護について取材してきた。’11年にフリーに転身してからは「日本テレビにいたときよりも、一個人として介護や福祉の現場で頑張っている人たちに会えている」と語る。 「私は一人で頑張ってしまいましたが、未来は捨てたものじゃないから大丈夫だよということ、そして夢や未来を諦めないでと、かつての私と同じような境遇にいる子供たちに伝えたいです。助けてくれる専門職や大人はたくさんいます。だから、困り事を抱えながら声を上げられていない人たちに、そういう人たちの存在を知らせたいです。 この本は介護を頑張っている人たちへのエールでもあり、家族以外で支えてくれいる人たちに対するエールでもあるんです。 私もいまだに人を頼るのが苦手です。だからこそ大人も子供も困ったときに助けてと言える『受援力』を身に付けてほしいと思います」 『受援力 “介護が日常時代”のいますべてのケアラーに届けたい本当に必要なもの』(町亞聖・著/法研)
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