2万5千人が不妊手術を強いられた「旧優生保護法」はなぜ生まれたのか? 歴史と問題点を解説
戦後間もない1948年から96年まで、日本に存在していた「旧優生保護法」を知っていますか? この法律は、障害がある人たちに子どもを産めないようにする手術を「強制的に行う」ことを可能にするものでした。このような法律ができた背景や、すでに廃止になった今も社会に残る「差別意識」について、ジャーナリストの一色清さんがわかりやすく解説します。小中学生向けのニュース月刊誌『ジュニアエラ2024年10月号』(朝日新聞出版)からお届けします。※前編<“子どもを持つ自由”が奪われた「旧優生保護法」ってどんな法律? ジャーナリストがわかりやすく解説>から続く 【写真】今では信じられない文言が…東京都衛生局が作った昭和30年代のパンフレットはこちら(2枚) ■食糧難の時代、出産数減の思惑に「優生学」が入り込む 最高裁判所は7月、旧優生保護法(1948~96年)を「立法時点で違憲だった」とし、国に賠償を命じる判決を言い渡しました。旧優生保護法については、あちこちで裁判が起こされていましたが、これで一応の決着をみました。 旧優生保護法は、国が病気や障害のある人に、強制的に子どもをできなくさせる不妊手術を可能にした法律です。今を生きるわたしたちからすると、「そんな無茶が許されたの?」と思う法律です。この法律はどのようにしてできたのでしょうか。 旧優生保護法の前身となる国民優生法ができたのは、太平洋戦争開戦前年の1940年でした。この当時は「産めよ殖やせよ」というかけ声の下、人口を増やす政策がとられていました。このため、法律の主眼は妊娠中絶を規制することにありました。 戦後の48年に旧優生保護法ができたときは、第1次ベビーブームで人口が急増していました。一方で食糧難の時代でもあり、出産数を減らしたいという政府の思惑がありました。 そこに優生学が入り込みました。優生学とは、19世紀末以降、欧米で広がった学問です。医療の発達などで「望ましくない性質」とみなされた人でも子孫を残せることになったことを社会にとって好ましくないとして、「望ましくない性質」の人が子どもを産まないように手術などでコントロールする方法が研究されました。 〇優生学とは 親から子へ遺伝する病気などを「望ましくない性質」ととらえ、そうした人が増えないようにコントロールする方法などを研究する学問。遺伝学の進歩や、医療が発達して遺伝する病気を持った人でも長生きして子孫を残せるようになったことなどにともない、19世紀末以降、欧米で広がった。20世紀前半に台頭したナチス・ドイツが、ドイツ人を優秀な民族とする一方、ユダヤ人を劣った民族とみなして大量虐殺を行った背景にも、この考え方があった。