2万5千人が不妊手術を強いられた「旧優生保護法」はなぜ生まれたのか? 歴史と問題点を解説
■旧法廃止後も「差別意識」は社会に残っている 旧優生保護法の目的のひとつは「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」こととされ、遺伝性の病気や障害とみなされた人に対して、本人の同意なく不妊手術を可能にしました。当時の政府は「公益上の目的があるから憲法の精神に反しない」としていました。そして、52年の法改正では、遺伝性ではない精神疾患の患者にも対象が広がりました。 この法律が96年まで存続し、最高裁による決着は、さらにそれから28年もかかったことは、政府だけでなくメディアなどにも人権についての意識が薄かったことを突きつけ、深い反省を迫る結果になっています。 また、障害者などの人権が完全に守られる社会になっているとは今も言い切れません。2016年には神奈川県の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺される事件がありました。犯人は「意思疎通ができない障害者は不幸をつくる」などと犯行前に友人に語っていたそうです。 〇不妊手術以外に、自治体による指導も行われていた 昭和30年代(1955~64年)に東京都衛生局が作った優生保護相談のパンフレット。「家庭を明るく」というタイトルのパンフレットには「遺伝性の病気や奇形の発生をふせぐには結婚相手の血族者に遺伝性の病気や奇形のない人を選ぶこと」と書かれています。こうした指導が全国各地で行われていました。 ○一色清(いっしき・きよし)/ジャーナリスト。朝日新聞経済部記者を経て、「アエラ」編集長などを歴任。「報道ステーション」「グッド!モーニング」(ともにテレビ朝日系)のコメンテーターも務めた。
一色清