『東大教授、若年性アルツハイマーになる』著者はいかにして夫と出会ったか…共通点のない2人を結び付けた「神の導き」とは
定年前の50代で「アルツハイマー病」にかかった東大教授・若井晋(元脳外科医)。過酷な運命に見舞われ苦悩する彼に寄り添いつつ共に人生を歩んだのが、晋の妻であり『東大教授、若年性アルツハイマーになる』の著者・若井克子だった。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 2人はどのように出会い、結ばれ、生活を築いてきたのか。晋が認知症を発症する以前に夫婦が歩んできた波乱万丈の「旅路」を、著書から抜粋してお届けする。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第41回 『「人がちがう!」「僕は一人でやってるの!」認知症の人の“不可解な言葉”に隠されていた「本当の気持ち」とは』より続く
1974年
3年間の婚約期間を経て、私たちは1974年4月21日に正式に結婚した。晋27歳、私が28歳のときである。結婚後のことになるが、晋から、 「僕の結婚相手の条件は健康な人だよ」と言われた。医師として日々、病んだ人を診ているからこその言葉だろうが、この話を友人たちに聞かせたところ、 「じゃあ私でもよかったじゃない?」 「克子さんと結婚しようという、勇気ある若井さんの信仰を尊敬するわ」 などと(もちろん冗談だが)散々な言われようだった。 晋も私もクリスチャンだが、それ以外にこれといった共通点が見当たらないふたりだ。不思議に思われても仕方がない。私たちにとっても、この結婚は「神様の御導き」としか言いようのない、不思議なものだった。 私は1946年に香川県で生まれた。進学のため18歳で上京したものの、大学の授業には身が入らない。満たされない学生生活に失望しかけていたとき、友人が「かにた婦人の村」(千葉県館山市)での労働奉仕に誘ってくれた。大学2年生だった私はそこでキリスト教に出会い、友人の影響もあって少しずつ聖書を読むようになった。
聖書を読んでいると…
友人はさらに、日本女子大学のカトリック研究会が主催する高橋三郎先生の講演に私を誘ってくれた。高橋先生は、聖書をもとに描かれた、ある絵画を題材に講演をされた。 イエス様が家の外に立ち、戸を叩いている。だが、戸を開ける取っ手は、家の内側にしかない――絵には、そんな場面が描かれているのだという。 この絵は何を意味するのか。「心を開いてイエスを内に迎え入れる者にのみ、真理は示される」と言わんとしているのだという。作品は、新約聖書「ヨハネ黙示録」の3章20節、 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。 という一節をもとに描かれたそうだ。 講演のなかで、高橋先生が、絵の写真などを提示することはなかった。口頭で説明されただけなので、参加者は絵の場面を想像しつつ聞くしかない。だが、私には生涯忘れられない講話になった。後に体験したことと、あまりにもぴったりと重なったためだ。その体験は、高橋先生の講話からだいぶ時が過ぎてから起こった。 大学の寮でひとり、聖書を読んでいたときのことだ。背後に人の気配がする。振り向くと、薄暗い部屋の中に男性が立っていた。 〈イエス様だ〉 私はそう直感した。絵画で見るような立派な姿ではなく、痩せこけてみすぼらしい様子だった。しかも、色彩がない。 夢ではないか……とっさに頬をつねったが、痛みを感じたので夢ではないだろう。 やがて男性の姿は消えてなくなった。一瞬だったが、私には忘れられない、いや、忘れてはならない時間だった。 以来、聖書の言葉が素直に心に入ってくるようになったのは、何とも不思議なことだ。そんなことがあったあと、偶然にも高橋集会に参加している方と知り合う機会があり、私は集会に行くようになる。そこが、晋との出会いの場となった。 『「君!出て行きたまえ」…謹厳な雰囲気の「聖書集会」で東大医学部生だった夫と私を出会わせたのは「奉仕作業」だった』へ続く
若井 克子