麗しい山容をとくと鑑賞できる清澄庭園の「富士山」【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド】
東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。 【写真7枚】登山口(最寄り駅)は、都営新宿線森下駅。元祖カレーパンの店、清澄庭園など登山道を写真で見る FILE.81は、江東区にある清澄庭園の富士山です。
第81座目「清澄庭園の山」
◆今回の登山口は、都営新宿線森下駅です 今回の登山口(最寄り駅)は、都営新宿線森下駅です。 実は森下駅に来たことがあります。お隣の菊川駅には日本発のアウトドアブランド「フォックスファイヤー」の本社があり、そこを訪れたついでに周辺を散策したことがありました。なので、若干土地勘があると思っていたのですが、目指す清州庭園は歩き慣れた方向とは違う道でした。 ところで、清州庭園の最寄り駅は東京メトロ半蔵門線清州白川駅です。清州庭園までおよそ2分ほどの距離。そんなすぐに着いてしまうと書くことが少ないので、とてもじゃないが選択できません。そこで、今回は行き慣れた森下駅を選んだというわけです。 さて、清澄通りを南下していきます。 ◆元祖や起源にまつわるお店が続々 清澄通りを歩いていて、ふとビルを眺めると目に入ってきたのが、元祖カレーパンの店という案内でした。外から見ると、もうすでにカレーパンは売り切れの様子です。調べてみると、日本カレーパン協会(そんな協会があるとは!)のホームページには、起源については諸説ありますが、東京都江東区にある「名花堂」(現:カトレア)の2代目が1927年に実用新案登録した洋食パンが元祖と言われることが多い、と記載されていました。 そりゃ名店のカレーパン。昼前に売り切れるのも納得です。と思ったら、店頭にカレーパンの揚げ上がり時間として、午前7時、11時、午後3時と記されていました。また今度来ます! ちなみに、僕が高校の頃、部活の一部の先輩から付けられたあだ名は「カレーパン」です。カレーパンが大好きで、お昼にカレーパンばかり食べていたから。そんな昔の事を思い出しつつも、先へ進んでいきます。 続いて、見たことのない旗が飾ってあるなと思い、ふと立ち止まると「ジョージアワイン専門店グビノ」と書いてあります。まだお店は空いていなかったのですが、ジョージアとワインが僕の中でつながらなかったのですが、調べてみると、ジョージアを含むコーカサス地方は、葡萄の起源地で、8000年前からワインが醸造され、ワインの起源はジョージアにあるとされているのだそうです。。当時の手法が現在もそのまま伝承され、今もワインづくりが行われているそうです。そんな話を聞くと飲んでみたくなりますね。 店名のグビノはワインを意味するジョージア語「gvino」が由来だそうです。ちなみにオンライン販売もしているそうです。 さらに清澄通りを南下し、清澄白河駅駅を過ぎて清澄庭園の角を入り口の方へ曲がると、行列のできているお店を発見しました。外観からしてめっちゃオシャレです。「est tokyo uno et001」イタリアンのお店なのですが、ランチはうどんや丼ものまであるみたいです。オシャレなだけでなく料理も評判良いみたいです。行列ができていたのは、ドラマ「9ボーダー」(TBS)のロケ地になったり、「出没!アド街ック天国」(テレビ東京)で清澄白河特集を放送した際に登場したことで一気に有名になったみたいですね。 意外といっては失礼ですが、オシャレなお店が多いですね。恐るべし森下駅周辺。ここから、清澄庭園の壁を見ながら入り口を目指します。 ◆いざ、清澄庭園へ 清澄庭園は有料の庭園です。動画撮影には許可が必要なのですが、行き当たりばったりの取材なので許可を取れるはずもなく、久々に動画は静止画でお送りします。 ・清澄庭園 この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の藩主・久世大和守の下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたそうです。 1878年(明治11年)岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)が、荒廃した邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画したそうです。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成したそうです。 清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けたのですが、この時災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救ったそうです。岩崎家では、こう した庭園の持つ防災機能を重視し、翌1924年(大正13年)に破損の少なかった東側半分(現庭園部分)を公園用地として東京市に寄付。東京市はこれを整備して1932年(昭和7年)に一般公開されたそうです。 この連載を毎回ご覧頂いている読者の皆さんならお気づきかと思いますが、「回遊式庭園に築山あり」です。築山(つきやま)とは、庭園などに築造された山。そう、今回のターゲットは清澄庭園にある築山、その名も「富士山」なのです。 清澄庭園に入園し、池の南側に進むと、芝生に覆われた築山があります。清澄庭園の南側の石仏群と古池の句碑の間にある、富士山を模した小高い山です。山頂はボク石(溶岩)のようですね。 庭の眺めを楽しみながら山麓まで行くと、この富士山は登れない山でした。しかし、登れなくても庭園から眺める富士山は美しいですね! 本物の富士山も、登るより周りから眺めていたほうが山容の美しさを感じることが出来る。そんな意味の込めて、この山も富士山と命名されたとハイカーの僕は勝手に思うわけです。美しい山ほど、登ってしまうと形が見えませんからね! 次回は江戸川区の公園にある「富士山」です。 私が書きました! プロハイカー 斉藤正史 2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿する傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「山形ロングトレイル(YLT)」を行なう。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、スルーハイクしたトレイルだけで22.000km(地球半周以上)を超える。最新情報はブログを。
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