無期懲役を狙って新幹線に乗り込んだ22歳の凶行、期待通りの獄中生活に「とても幸福」 死刑に次ぐ刑罰の意味とは
●期待通りの獄中生活は「幸せ」
受刑者となってまだ5年にも満たないが、彼は塀の中での生活が期待していた通りであることを度々強調する。 <信じられないかもしれないが、私は今とても幸福です。こうなることは人を殺す前から分かっておりました> <日本の刑務所は素晴らしい。ここにはまだ希望がある> 一方で手紙には、小島が社会にうまく適応できずに苦しんでいたと思わせる記述もあった。 <刑務所は衣食住があたりまえであり、友人も仕事も娯楽も全て用意してもらえる。社会ではこれらを得るために努力しないといけないのだ。ところが刑務所は努力しなくてよい。社会にいる時にあれだけほしかった食物、どうしても得ることができなかった食べ物が、ここでは食べないと食べてください(と)お願いされる> 小島は事件を起こす前、半年にわたって野宿生活を送っていた。この「家出」中に新幹線での無差別殺人を計画したとされている。 <仮釈放は怖い。もう二度とシャバには出たくない> 裁判の判決では、裁判長が「刑務所での服役の日々を送らせ、受刑の現実に直面させることで、その刑責の重さに向き合わせることが相当である」と述べた。 これに対し、小島は「裁判長が『受刑の現実に直面させる』と仰っていたが、さて、どうだったでしょうか」と挑発するように続ける。 <死ぬまで刑務所に居てもよい無期でこそ、私と国は一つとなる。無期なら国が死ぬまで面倒を看てくれる> 死刑でも有期の懲役刑でもなく、あえて無期懲役となるように意図した小島は、手紙で「刑務所と社会はあべこべである」と日本の刑事司法の矛盾に触れている。
●獄死を決めた無期囚 理由は「倫理の対称性」
刑務所に入るために事件を起こす人がいる一方、事件を機に考えを改める者もいる。 美達大和(みたつ・やまと)のペンネームで多くの本を出している男性は、今もある刑務所に服役している現役の無期懲役囚だ。 美達は2件の殺人を犯した。すでに30年近く服役しているが、著書などを通して仮釈放の可能性を放棄したと公言している。 仮釈放されないことを受刑者自身が決められるのかという疑問に対して、美達は著書で、「工場に出ることを拒否し、単独での処遇を受けることによって可能」と説明している。 今年6月、美達に手紙を送ると、本名や収容されている刑務所、事件の詳細を明かさないことを条件に書面での取材に応じた。 無期懲役囚として獄死することを決断した理由について、美達は「倫理」を引き合いに次のように表現する。 <反省した結果、自分にも非があり(自己の信条により他者の生命を奪う事は断じて許されないと)、相手が生き返らぬ以上、自己を殺すか、人生を捨てるとせねば倫理の対称性の点からも納得できず、出ない(社会での人生を捨てる)としました。今、生きているのは、善行も行ってから終わろうという意味で、被害者遺族の年齢を鑑み、その人の死より早く人生を終える事にしています。全く逡巡も迷いもなく、さっと決めました>