【未来へつなぐ戦い】「なにがなんでも昇格して、最後は仙台で」クラブ創設メンバー・今井翔の誓い|Fリーグディビジョン1・2入替戦
一生懸命やっていたことが、花開いた5年間
──そして2016年に、今度はシュライカー大阪へ。 仙台では2年プレーしたのですが、残念ながら契約満了という形になりました。ただ、選手としてまだプレーしたい気持ちがあったので、チームを探していたところ、大阪から話をいただくことができたので、すぐに決断をしました。 ──加入初年度のシーズンは、Fリーグと全日本選手権で2冠を達成と素晴らしいシーズンになりました。 大阪には5年間所属させてもらい、1年目から優勝を経験させてもらい、僕としては運が良かったとしか言いようがないです。チームメートにもすごく刺激を与えてもらって、充実した時間でしたね。 ──当時の監督は、現在日本代表監督の木暮賢一郎さんでした。印象に残っていることはありますか? 僕はそれまで感覚的にプレーしていることが多かったので、頭を使って考えながらプレーすることの大切さをすごく感じました。監督が違うだけで練習内容もすごく変わりますし、ついていくのが精一杯でした。でもあの1年、木暮さんの下で練習を積めた経験は大きいですし、フットサルをより深く学べた時間になりました。 ──2冠を達成した時は、これまで花巻や仙台で波乱続きだったぶん、報われたような感覚はありましたか? 退会という経験もなかなかできないですし、しなくていい経験ではあるんですけど(苦笑)。もちろんチーム状況は大変でしたけど、僕個人としてはそこまで苦労したとは思っていないです。それよりも、一生懸命やっていたことが花開いたなという感じですかね。 ──2019年には大怪我も経験し、1シーズン出場できない期間が続きました。 練習中に前十字靭帯と半月板を損傷してしまったのですが、復帰まで9カ月かかりました。それまで怪我で欠場する経験がなかったし、年齢的にも、選手を続けるか続けないかは一度考えました。 でも、まだやりきれてはいなかったし、「今ここでやめたら絶対に後悔するだろう」な、と。なのですぐにやめる選択肢はなくなって、「絶対に復活するんだ」という気持ちでリハビリを続けました。