【未来へつなぐ戦い】「なにがなんでも昇格して、最後は仙台で」クラブ創設メンバー・今井翔の誓い|Fリーグディビジョン1・2入替戦
遡ること14年前。地元・神奈川を離れ、東北の地に渡った今井翔。 移籍初年度で起こった東日本大震災、所属していたステラミーゴいわて花巻のリーグ退会、そして現在のヴォスクオーレ仙台の前身クラブの立ち上げと、波瀾万丈なキャリアを重ねてきた。 一度は契約満了を言い渡された。 それでも、ヴォスクオーレや東北への思い入れの強さは変わらず。Fリーグライセンス不交付が決まった2020-2021シーズン、古巣に戻ることを決断。2年間東北リーグを戦い、再びトップリーグへとクラブを押し上げた。 そして今度は、Fリーグ復帰のその先の景色を見るために──。 「仙台の力になりたい」 2011年から変わらないその思いをぶつけ、運命の2連戦に挑む。 ※インタビューは2024年2月7日に実施しました
仙台に明るいニュースを届けるために
──入替戦のお話の前に今井選手のキャリアを少し振り返りたいのですが、2010年に関東1部リーグのブラックショーツFCから、ステラミーゴいわて花巻に加入しています。神奈川出身で東北へ渡った経緯を教えてください。 ブラックショーツでは3年間プレーしていたのですが、Fリーグの舞台に立ちたいという気持ちがあり、東京で花巻のセレクションがあることを知って参加しました。他のチームも特には考えていなかったですし、合格をもらえたので迷いなく加入を決めました。 ──憧れのFリーグで1年戦って。でも、そのシーズンの終わりに東日本大震災が起きたということですよね。 震災の当日は岩手ではなく、選手権で代々木体育館にいました。大会は中止になったのですが、そこから岩手に戻るまでにもすごく時間がかかりました。たぶん2週間くらいは帰れなかったんじゃないですかね。僕の家自体は物が倒れていたくらいで大きな被害は受けていなかったのですが、沿岸部は本当に大変な事態になっていました。 ──そこから残念ながら花巻がFリーグ退会となり、新たにクオーレ仙台を立ち上げた。他のFリーグのクラブに移籍を考えたりはしなかったのでしょうか? 考えなかったわけではないですね。でも、今の監督である清水誠や渡邊一城をはじめ、当時いたメンバーで「また仙台から、Fリーグを目指すチームを立ち上げよう」という話になり、自分も力になりたいと、残ることを決めました。 ──そこから、2013年に湘南へ。そして翌年には再び仙台に戻ってきています。短期間で拠点を移すのは大変そうですが……。 湘南の時は神奈川の実家から通っていたので、そこまで大変ではなかったです(笑)。戻ることを決めたのはいろんな理由があるんですが、一番は僕自身が仙台の人や街も大好きだということ。地元の方とも震災の後も物資を届けたりしてたくさん触れ合ってきたので、もう一度仙台で戦い、明るいニュースを届けていきたいという思いで再加入を決めました。