クルド人、なぜ解体の仕事に就いている?肉体労働を支える「クルド飯」を食べながら聞いてみた。始まりは30年前の川口に
17歳の頃、徴兵が決まった。クルド人の居住地域に派遣され治安維持などの名目で同胞に銃を向けることを避けるため、国を出ることにした。 当初希望したヨーロッパでは入国が許されず、日本を選ばざるを得なかった。当時日本にいたクルド人は4、5人。日本にいる親戚から、到着したら川口市に近いJR蕨駅に向かうよう勧められた。理由の一つは東京よりも物価が安いこと。もう一つは、言語の似たイラン人が多く住んでいたから。生活に関する情報を得やすかった。 持参した生活費は半年で尽きた。洋服のアイロンがけや本棚の部品製造など仕事を転々とした。当時は解体業もその一つに過ぎなかった。 マムトさんの後からも、弾圧の激化でクルド人が続々と来日した。彼らに解体業を紹介するうち、徐々に仕事として広まっていったようだ。現在、日本で暮らすクルド人のほとんどが建物の解体業で生計を立てる。 マムトさん自身は、6回目の難民申請中で、在留資格がない仮放免状態。生活の基盤は完全に日本にある。一番ほしいのは日本に定住できるビザだといい、「平和な国で暮らしたい。ただそれだけ」と訴える。
▽「日本人が嫌がる仕事だから」 解体業で働く人々が多い理由を他のクルド人にも聞いてみた。埼玉県川口市で、解体会社経営の傍ら、レストラン「アゼル」を営むハサンさん(38)=仮名=。店に足を運んだ。 ハサンさんは約20年前に来日した。きっかけは日本の映画やアニメ。先に日本に来ていた兄も誘ってくれた。解体業で働きながら、10年前に独立。1年半前からはレストランの経営も始めた。 店の一押しはケバブの盛り合わせ。本場の味を提供するため、ラム肉はトルコから輸入している。スパイスの香りが食欲をそそり、ボリューム満点だ。 解体業を担うクルド人が多い理由を聞くと、こう語った。「日本人がやりたがらないことを俺たちがやっている」 解体業は、月~土曜日の週6日、8~17時ごろまでの肉体労働だ。現場が遠いと移動に時間がかかる。ハサンさんは、こうした過酷な環境での労働を日本の若者たちが避け、慢性的に人手不足になっていると指摘する。「首都近郊の建物解体のうち、7割は外国人労働者が担っているんじゃないか」 ▽急増するヘイト。「初めてトルコに帰りたくなった」