<Jリーグ>記録づくめ第2S優勝、広島を支えた成熟の「可変システム」
喜びを爆発させる派手なガッツポーズはない。指揮官を胴上げする光景も訪れない。タイトルとして計上されないステージ優勝ゆえに、通過点にすぎないという意識が強かったのだろう。 22日に9試合がいっせいに行われたセカンドステージ最終節。引き分けでも優勝が決まったサンフレッチェ広島は湘南ベルマーレに5対0で圧勝して、今季最多の3万3210人のファンやサポーターの前で優勝トロフィーを空へ掲げた。 この勝利で、浦和レッズと激しく争ってきた年間総合勝ち点1位も確定。年間王者を決めるJリーグチャンピオンシップではシードされて、ホーム&アウェーで争われる決勝戦から登場する。 「我々が欲しいのは(年間王者に与えられる)シャーレです!」 チームカラーの紫で染まったホームのスタンドへ、森保一監督はマイクを通してこう呼びかけた。 積み重ねた勝ち点「74」は、J1が18チームとなった2005年以降では最多となる。これまでは、2006年の浦和など4チームが記録した「72」だった。 年間23勝は2010年の名古屋グランパス、2011年の柏レイソルに並ぶ最多タイ記録。総得点73で「1試合平 均2得点以上」を、総失点30で「同1失点以内」を同時に達成したチームは、過去には2001年と2002年のジュビロ磐田だけだ。 攻守のバランスが最高のハーモニーを奏でるなかで、確実に白星を積み重ねる。1年を通して広島が発揮した無類の強さの源泉をたどっていくと、まずは独自の「可変システム」にたどり着く。 チーム最古参の34歳、MF森崎和幸が声を弾ませる。 「こういうサッカーで1年間を通してやっていこう、という確固たるスタイルがあるのがウチの強み。悪い時期でも立ち返れる場所があるので、選手も負けた後もそんなに落ち込むことなく、また自分たちのサッカーを出していこうと頑張っていける。だからこそ、迷走することはないと思っています」 基本形の「3‐4‐2‐1」がマイボールになると「4‐1‐5」に、相手ボールになると「5‐4‐1」に変化する戦い方が産声をあげたのは2008年の序盤。きっかけは森崎の閃きだった。 現在は浦和を率いるミハイロ・ペドロヴィッチ監督のもと、当時は「3‐5‐2」で戦っていた。しかし、シーズンが進むにつれて、攻撃の起点となっていたDFストヤノフが相手の厳しいマークにあう。 攻撃が機能不全に陥る状況を打開すべく、森崎はマイボールになると意図的にボランチの位置から最終ラインへ下がってみた。ビルドアップ役をストヤノフと分担すると、相手のマークが見事に軽減する。 選手の発想をペドロヴィッチ監督も支持。試行錯誤の末に編み出された可変システムを継承したうえで、守備的なアレンジを加えたのが2012年にコーチから昇格した森保監督だった。