《ブラジル》記者コラム= 第1回芸能祭から司会務める藤瀬さん 豪華なフィナーレに込められた想い
日系社会往時の移民70年祭のアナウンスも
ちなみに藤瀬さんは、日本移民70周年、80周年、90周年でも場内アナウンスなどを担当した。式典自体には、ブラジル政府代表が出席する関係で公式司会者が付いたが、場内の日本語での仕切りを担当した。中でも思い出深かったのは、日系社会最大の式典といわれたパカエンブーサッカー場で開催された70周年だったという。 「当日は7万人、8万人が観客席に入ったんじゃないかと思います。式典自体は10時からなのに、地方から駆け付ける人などが朝5時から続々と駆け付けるんです。それを受け入れて会場の連絡事項を両語でアナウンスし、何時間も待っている間に飽きないように、日本からの民謡使節団に披露してもらうなど一人で切り盛りしたんです。大変だったけど、やりがいがありました」と日系社会の大きな節目を支えてきた内幕を述べた。 1967年5月には現在の上皇上皇后両陛下(当時、皇太子同妃両殿下)が初めてブラジルに足を踏み入れられた。 2度目は1978年6月に移民70周年で再訪された。その記念事業として日本移民史料館が、ガイゼル大統領と両陛下ご臨席のもと盛大に落成した。パカエンブー競技場を埋め尽くして挙行された移民70周年記念式典には、ガイゼル大統領も出席して過去最大級の記念イベントとなった。この時に、藤瀬さんが場内アナウンスを担当したわけだ。両陛下と大統領が出席する記念イベントだけに、その責任は重かった。
両陛下は1997年5~6月に、天皇皇后両陛下として日伯友好100周年を記念してごブラジル訪問された。現上皇上皇后両陛下が3度もご来伯されたことは、比類のない日系社会の誇りといえる。 来年、日伯外交樹立130周年では、西森ルイス伯日議員連盟会長は、「もちろん、皇室のどなたが来られても同様に大歓迎する」と前置きした上で、天皇皇后両陛下に招待状をお渡ししていると明かしている。特に皇后陛下はまだ当地に足を踏み入れられたことがなく、「ぜひご夫妻で」との期待の声が日系社会からは出ている。 もしもそれが実現した暁には、ぜひ藤瀬さんにもう一肌脱いでもらいたいものだ。綺羅星のごとく輝いていたコロニア芸能界の〝スター〟や〝鬼〟が冥土の旅に出た今だからこそ、その時代の生き証人、語り部としての藤瀬さんの役割は重要だ。(深)